life

2013.12.27

Bohemian Blues 7

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 どうして、ぼくはここにいるのだろう。
 雪に閉ざされてほぼ一ヶ月。ぼく以外の人たちは、雪が積もる暮らしに馴れているようで、たいしていままでとは変わらない毎日を過ごしているようだ。
 日々の仕事をこなして、休みにはそれぞれ山を下りて、そしてまた戻ってくる。
 そういう意味では、自らの移動手段を持たないとこういう環境での生活は厳しい。いや、つまらないといった方がいいか。思い立ったときに、行きたい場所へいくということができない。
 交通機関はバスだけ。
 しかも一日に二便。
 朝と夕方だ。
 バスは雪山をゆっくりと二時間ほどかけて下りていく。だから朝のバスに乗って山を下りても、午後のバスの出発が 1 時半だから、正味一時間ほどしか町にいられない計算になる。

 どうして、ぼくはここにいるのだろう。
 自ら居場所を失ったからなんだが、しかし、ここでなにをすればいいのか?
 どうしたら、また違った日々を送ることができるんだろうか?
 降り積もる雪を眺めながら、毎日考えることはそんなことだ。もっと建設的なことを考えればいいんだろうが、しかし生活することに追われてもいるためだろうか、明日を描くことができずにいる。

 どうして、ぼくはここにいるのだろう。
 これが今年の結果であることは充分承知している。
 では、来年はどんな年になるんだろうか?
 居場所を失ったことについては、最早なにをいうつもりもない。ただ、これからはそのときそのときできっと居場所を変えていくのだろう。
 それでも、来年は選ぶ自由を得たいと思う。
 いまはあまりにも選択肢が少ない。
 そんな中で、それでも明日を描くためのなにかを手にしたい。
 それがいまの望みなのかもしれない。

 その明日、ぼくはどこにいるのだろう。

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2013.11.19

Bohemian Blues 6

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 冬支度がはじまった。
 初雪が降ったのは 11 月 11 日。白いものが混じりはじめたと思ったら、あっという間に地面は白くなっていった。
 それでも例年よりは遅いという。普段だと 11 月に入ってすぐに初雪は降るらしい。
 実に寒い。
 まだ雪は降り積もってはいないけど、しかし今日も晴れた空から粉雪が舞い落ちている。
 特に今日は寒い。空気が凍えているような感じで、冷たくそして固い。

 宿のメニューも冬のそれになり、廊下にはストーブが置かれ、一日中火がついている。
 積もりはじめるとどんなことになるのか、想像もつかず、途惑っている。なにしろ逗子では 11 月でも暖かい日だとラッシュガードで海へ入れるほどなのだ。
 ここに来て、同じ日本でもこんなに気象条件が違うのかと驚いている。
 雪の季節はこのままゴールデンウィークぐらいまで続くらしい。
 それこそ逗子だと水着で海へ入れる季節だ。なのにここはまだ春の手前だという。

 これからの日々がどんなものになるのか。それはそれでまた改めてここに書いていくことにしよう。
 それにしても寒い。

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2013.11.05

Bohemian Blues 5

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 温泉宿での住み込み生活も二ヶ月が過ぎようとしている。
 もっとも爆睡に近い昼寝をほぼ毎日しているせいなのか、まるで一日を二分割しているようで、通常の時間の経過とは違った感覚で過ごしている。
 一ヶ月がただの一月ではないようなのだ。
 なんだかずいぶん長い間ここにいるような気でしてならない。
 それでもまだ 11 月のはじめなんだよね。

 逗子に住んでいた頃の 11 月といえばまだ秋で、しかもときおり陽射しの強い日なんかもあったりして、晩秋という感覚を抱くまではまだ間があるはずなんだが、ここではすでに冬支度がはじまろうとしている。
 寒い。
 昼日中でも吐く息が白くなることも珍しくない。昨日なんかは、ほんの少しだったが白いものが混じったみぞれが降ったようだ。
 雪が降り積もるとどんな世界になるのか。雪国を経験したことのないぼくには想像はできないが、しかし、峠道が凍ると車はスタッドレスタイヤに履き替えて、しかもチェーンを巻かないと滑ってまともには走ってくれないそうだ。
 タイヤを履き替える。そんな経験をいままでにしたことがない。
 もちろんスタッドレスタイヤの用意などあるはずもない。
 ということで、これからどんな生活が待っているのか、実はまったく想像もできず正直途惑っている。

 山の木々はすでに紅葉を終えて、葉が落ちはじめている。
 雪に閉ざされるとそれこそ「シャイニング」のような世界になるんだろうか? まぁ、このままここにいれば間違いなく、それを体験することができるんだろう。

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2013.10.17

Bohemian Blues 4

 温泉宿での住み込み生活もすでに一ヶ月半ほどになる。
 どうやらここでの仕事にも慣れて、生活のリズムもほぼ一定してきたようだ。いや、一定してはいたが、それに馴れたといった方がいいのかな。
 いままでの生活と大きく違うのは、一日が二分割されてしまうところだろうか。
 仕事の性格上、午前の部と夜の部に分かれてしまう。食事の用意と布団の上げ下ろしがメインだから、どうしても朝食のための仕事と、夕食のための仕事といった形になる。
 朝は 6 時半前後からはじまり、配膳の用意をすると布団上げをして、それから食器洗いと午後の準備で終わる。いろいろと雑用もあるが基本的にはこれがひとつの流れだ。
 その日によって終わる時間は変わるんだが、10 時〜 11 時頃に終わり、それから朝食を摂ることになる。

 午後は 15 時開始。まず昼食を摂り、それから配膳の準備がはじまる。用意が終われば今度は布団敷きだ。それから食器洗いと明日の準備。朝とは料理の量も違うし、またアルコールがでることもあって、夜の部の方が時間は長い。
 それでも 21 時〜 22 時頃には終わる。
 それから夕食を摂り、一日の仕事は終了だ。

 仕事を終えて寮に戻ってすぐに寝ればいいんだろうが、しかしやはり仕事を終えたあとはちょっとのんびりしたい。
 ということで温泉につかって、軽く一杯やっているとどうしても日付が変わる寸前まで起きていることになってしまう。そうなると睡眠時間は 6 時間を切ってしまう。
 人によってはそれで充分なんだろうが、ぼくの場合はこれではどう考えも睡眠時間が足りない。
 そうなると昼の間にどうしても仮眠しておかないといけないことになってしまう。
 おもしろいもので夜の睡眠よりも、昼の仮眠の方が睡眠は深いようだ。爆睡といってもいい。あまり長い時間、昼寝をするわけではないからということもあるんだろうが、目が醒めてから起き上がるまでにどうしても時間がかかってしまう。酷いときだと、ウトウトしながら 30 分近くも布団の中にいてしまうこともあるほどだ。

 それはともかく、だいたいこんな形で一日を過ごしている。
 となると、なにかをやる時間がどうしても限られてしまう。
 夜はアルコールがデフォルトでセットになっているので、昼間の空いた時間にということになる。たとえば原稿書いたり、あるいはメールや Web 関連での仕事となると、昼寝のあと、15 時までの間ということになる。
 さっきもちょっと書いたが、昼の目覚めがかなり悪いので、そのあとなにかをしようとすると気分的な区切りが必要になってくる。
 ということで、ぼくは温泉につかって眼を醒ますことにしている。
 12 時半から 1 時頃までが午後の温泉タイム。で、そのあとはいろいろな作業時間をするための時間だ。準備の時間なんかもあるので、どうしても集中できるのは一時間半ほど。この 90 分が勝負ということになる。
 これで充分なのかどうなのか、それは集中力とその間にやっていることの内容ということになるんだろう。

 たった 90 分だとしても、その間、畳の上に直置きした iMac に向かってタイプしていると腰にかなりの負担が来る。
 なんとかデスクと椅子で仕事をしたいんだが、しかしこれというデスクセットがない。
 なにか荷物になるものを買う場合、いまのぼくは車で移動できるかどうかをひとつの判断基準にしている。以前にも書いたけど、ぼくの生活に必要なものすべては車にそっくり載っているためだ。これ以上なにか荷物を増やすことは考えていないし、運送屋に依頼して運ばなければいけないものを、いま購入する気はない。
 となると、簡単な組み立て式のデスクセットなら可能、ということになる。いちおうホームセンターで探してはみて、これならというものはあるにはあったのだが、デスクの耐荷重がたった 10kg ということであきらめることにした。脆弱なデスクに iMac を乗せて、それであれこれ仕事をするのはやはり不安だからだ。

 以前はちょっとした合間に、畳の上でゴロリと横になり背筋を伸ばすことでなんとか凌いでいたが、しかし生活自体に椅子がないと腰への負担はやはり大きい。
 夜、iMac で映画を観るときも畳の上で胡座をかいてという生活を続けていると、どうしてもなんでもいいから座りたいという欲求が出てきてしまう。
 ということで、苦肉の策ではないが、いまぼくはキャンピングチェアを部屋に持ちこんで、なにもしないときなどはそこに座ってのんびりすることにしている。
 そう逗子海岸で寛ぐときに使っていた椅子だ。一畳のカーペットを買ってきて、その上でこの椅子を使うようにしている。
 まぁ、見栄えとかそういった観点から考えると確かにおかしいのかもしれないが、いまのぼくのポリシーということで考えればこれはこれでありなのだ。
 夜、映画を観るときや、音楽を聴きながらちょっと酒を呑むときなどは、このキャンピングチェアにどっかりと座ってのんびりしている。これだと腰にかかる負担は若干だが軽減されるようだ。
 ただ、ちょっと不便なのは、グラスを置くためのテーブルがないということ。
 できたら、海岸とかでも使えるコンパクトなものがあると最適なんだけどね。と、そんなわがままなことを考えながら、夜はのんびりと焼酎など呑んでいたりする。

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2013.10.01

Bohemian Blues 3

 高校の頃だろうか、ストイックな生活に微かな憬れを感じていたことがある。
 ストア派の哲学のことなどまったく理解していなかったのにと片腹痛いけれど、あの頃はもっと単純に淡々と禁欲的で厳格な生活みたいなイメージを抱いていたと思う。
 まぁ、禁欲的というのもまたまた概念的な言葉で、さていったいなにが禁欲なのかということを考えていくときっと収拾がつかなくなるんだろう。けれど、ともかくその当時は贅沢品とは決別するみたいな理解をしていたようだ。たとえば、アメリカの農夫のような生活といえばいいだろうか。
 まぁ、ヒッピー文化にかぶれていたこともあるから、そのあたりの突っ込みは勘弁してもらいたい。

 ただ、この頃の憬れの気持ちというのはどこかでずっと引き摺っていたようで、正直にいうと今回の住み込みを決意したことにも若干影響している。いまだにストア派の哲学など理解はしていないが。
 ただ、規則正しくやるべきことを淡々をこなして生きていくというイメージが、ぼくの中で正しい生活のひとつとしてインプリンティングされていることは確かなようだ。
 そんなこと、いまではまったく正しい生活だとは思っていないが、しかし、頭の中での考えと、その昔に抱いたイメージとはなかなかうまく折り合いをつけられないことがあって、わかっちゃいるけど止められない類のひとつであることは確かなんだろう。

 で、いま朝早く起きて、それこそ労働に勤しみ、昼間は休憩をして、また夜まで労働して、仕事を終えると一杯やって布団に潜り込む生活をしている。
 でも、これストイックでもなんでもないよなぁ、といまでは実感している。
 ぼく中でのあの憬れはなんだったんだろう?

 確かに、なにかを選択する自由というのはとても限られていて、禁欲的といえばそれまでだけど、その反動が休みの日に来たりするとまったく意味をなさないしね。
 ただ、この生活を選んだからには、なにかを成し遂げないと駄目なんだろうと思う。
 自分の中ではきっと理解している目的がきちんとあって、それを達成するために、いま日々を送っているはずなのだ。
 ということで、ただ労働に振り回されるだけではなくて、自分にしかできないことをすこしずつだけど毎日実行している。それが花を咲かせて実になってくれるのかどうかは判らない。
 でも、そのためにいま生きているのだと思うようにしている。

 しかし、アメリカの農夫に憧れるというのはどこかトチ狂っていると思う。
 いまぼくがしたい生活はどちらかというとカーボーイ的な、いや違うな、もっとストレートにいってしまえばサーファー的な生活だろう。山の中にいるしかないぼくは、毎日、海の写真を眺めながら労働している。
 いつになれば、あの潮風を好きなときに浴びられるようになるんだろう。そんなことを思いながら、今日も労働に勤しんでいるわけだ。

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2013.09.16

Bohemian Blues 2

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 Mac はデジタル時代のハブになると、ジョブズが基調講演で述べたのは 2001 年のことだ。
 いまぼくは家を失い、まったく新しい環境で生活しているがその恩恵をたっぷりと受けているといっていいだろう。
 いつも聴いている音楽を楽しみ、そしていつも観ている映画を楽しんでいる。一ヶ月前と同じように音楽を、そして映画を楽しんでいる。これがデジタル時代のひとつの生き方だ。

 今回図らずも家を失うという事態に陥り、いや違うな、定住する場所を捨てたといった方がいいだろう。
 勝手な解釈をしてと笑う人もいるだろうが、今回の件では、ぼくなりにいろいろと考えたことは事実だ。人はほんとうに家を「持つ」必要があるのか? と。
 ノマドという言葉が一時期流行ったが、単にオフィスの外で仕事をするということではなく、定住することなく、しかし自分の生き方をきちん実践していくということも可能なのではないだろうか。だから、今回の件に関するエントリーのタイトルは敢えて「Bohemian Blues」にした。ノマドというよりも、個人的には「ボヘミアン」な気分なのだ。いや、ほんとうに自分勝手だけど。

 だからここの生活をあるとき終えたとしても、やはり定住先を求めるつもりは、実はない。逗子に住みたいとは思っているけど、しかし 365 日逗子に住むのは窮屈ではないかとも思っている。
 ぼくはそうやって、いろいろな場所に拠点を作って、そのときどきに応じて住み分けることができるのかどうか、実はあまり自信はないけれど、しかしやれそうな気がしている。

 昨日、車に積んだままにしてあった写真の額を取りにいき、部屋の壁に飾った。
 いまぼくがいるのはとある温泉宿の社員寮だ。しかし、ここがいまのぼくの場所。いつも聴いている音楽を流し、いつも観ている映画を楽しみ、壁にはいつも眺めていた写真が貼ってある。
 借り物の部屋だけど、しかしこれでぼくの部屋だ。
 また、移動するときには、そういった気に入っているものだけを車に積んで、そのうちもっともっとコンパクトにして、スーツケースに詰め込んで、好きなときに好きな場所で生活できるようにしてみたいと思っている。
 そのためには、あと実践しておきたいのは、やはり本のデジタル化だね。
 これやっぱり嵩張るもの。それでも紙としての本を持っていたいという欲求を捨てることは、しばらくはできそうにないんだよなぁ。どうやって折り合いをつけましょうかねぇ。

 子供じみているといわれるだろうけど、気分としてはスナフキンなのね。ああ、それだとギターも持ち歩くことになるな。
 できたらテーマソングは The Byrds の Ballad of Easy Rider がいい。

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2013.09.10

Bohemian Blues 1

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 旅館の朝は早い。
 とはいえ、仕事は 6 時半からだからそこまで早いとはいえないかもしれない。
 ぼくは毎日、5 時半に起きると用意をして、それから仕事をしている。仕事の場は配膳室。ここでまず朝食の用意をするところからはじまる。
 お客さんの食事の時間になると、今度は部屋の布団上げ。
 担当する部屋にもよるけど、最大で 10 部屋ほどの布団上げをすることもある。シーツに掛け布団のカバー、枕カバーは洗濯する必要があるので持ち運ぶことになる。これがなかなか重い。

 布団上げに、シーツ類の持ち運び。そしてこのあと朝食で使った食器の洗い物などしていると腰がともかく痛む。
 まだ四日ほどしか仕事をしていないけど、この腰への直撃とどう付き合っていくのかが、もしかするとこの仕事の最大の問題になりそうな気はしている。

 すべての作業が終わると朝食だ。
 時間はまちまちだけどだいたい 11 時前後になるだろうか。
 それが終わると、午後 3 時までは休憩になる。

 ぼくは部屋に戻るとまず昼寝をする。ともかく身体を休ませることが第一。まだ馴れていないこともあるけど、身体は大切にしたい。
 小一時間ほど寝ると、そのまま温泉へ。
 これは至福のとき。お客さんが使っているのと同じ浴場を使うことができる。

 部屋へ戻ると午後の出勤までの時間は Mac に向かう時間になる。
 原稿書いたり、blog を書いたり、あるいはいままでやっていた仕事を継続して片付けたり、やることはいろいろある。
 短時間に集中してやるようにしている。
 なにしろ、部屋には机がない。iMac を畳の上に直に置いているので、胡座をかいてキーボードを打っていると 10 分もすると膝が痛み出し、そして腰にも痛みがやってくる。
 ときおりごろりと横になりながら、いまのところは凌いでいるけど、この環境をどう整えるのかはこれからの課題になるかもしれない。

 午後の仕事は 3 時から。まず昼食を配膳室で摂るとそれから夕食の準備がはじまる。
 合間には布団敷きとお茶の用意がある。
 ドタバタしながら、お客さんたちが食事を終えると、食器の後片付けをしていくことになる。これがこれでまた大変だ。
 食器類の片付けが終わったら終了ということではなく、朝食の準備でできるところはやっておかなければいけない。
 それを終えて、仕事は終了。夕食を摂ると、部屋へ戻る。
 仕事が終わるのがだいたい 9 時前後だろうか。それから食事をして、また温泉につかって、部屋に戻るとだいたい 10 時にはなっている。
 さすがにこれからなにかをやろうという気はほとんど起きない。
 一時間ほどネットをやったり、あるいは Mac で映画など観て、11 時には寝てしまう。翌日も 5 時半起きだからだ。
 しばらくはこの繰り返しで毎日のリズムをきちんと作っていこうと思っている。

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2013.09.05

Bohemian Blues 0

 いま、とある温泉場に来ている。
 湯治客としてならこんなにいいことはないんだが、そうではない。
 故あって住む家を失った。
 どういう状況なのかを詳しく書くと、それこそ短編小説のひとつも書けてしまうかもしれないので、それはまた別の機会にということにしておこう。

 とりあえず身の回りの荷物をすべて車に積んで、衣服と本とそれから仕事関係のつまらない書類などなんだが、すべてが車に載ってしまった。これもすこしずつ断捨離したおかげだろう。
 そうそうもちろん iMac にバックアップ用の HDD、さらには MacBook と、暇なときにつま弾いていたギターも載っている。
 これがぼくの持ち物のすべてだ。
 身軽といえばとても身軽。
 今朝、逗子を出発して、夕方目的地に着いた。
 そこでなにをやるのかというと住み込みで働くわけだ。
 住む場所と食事とそれから温泉がセットになっている。

 家族と別れて、というか、切り離されたといった方がいいかもしれない。一方的にではなく、関係をゆるやかに断った状態になっている。まぁ、子どもたちも大きくなっていて、来年には独立をと考えていたところだから、それが早くなったと思えばいいのかもしれない。
 いや、無理矢理独立された子どもたちにしてみれば堪ったものではないかもしれないけど、まぁ、こうなってしまったのだから、時間を逆に戻してやり直すわけにもいかない。

 とても山深いところにある温泉場にいまいる。
 ネットは繋がるが携帯は繋がらない。携帯が繋がらないのはちょっと傷手だが、しかしネットが繋がるのはありがたい。
 こうして空いた時間を使って、なにかをアウトプットすることができるからだ。

 これからの生活はとてもシンプルなものになると思う。
 まぁ、それはこれからおいおい書くことになるだろう。
 ともかく、ぼくは生きている、ということを。

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2013.08.10

長い夜

 いつも酔っぱらって寝てるので、たとえ夜中に眼が醒めたとしても、またすぐに寝入ってしまう。
 日付が変わって一時間ほどして眼が醒めて、いつものことと寝直そうとしたが、このときに限ってまったく寝られない。こういうことは珍しい。そもそも酔っぱらっていたはずなのに、頭がすっきりと冴えてしまっている。
 どうしたものかとしばし悩んだが、冷蔵庫から金麦を取り出して、ずびずびと飲み干してみた。
 さて、これでどうだと横になったが、冴えた頭はそのまま。

 こんなことはここ何年もなかったことなんだが、もしかしてなにかあるのか?
 たとえば、だれかを待っていたり、なにかを待っているんだろうか?
 まぁ、この世にいない人がこの時間に訪れるということは、それは物語の中ではあってもいいことかもしれないが、こういう状況で待っていて現れるということもあり得ない話だ。
 考えすぎだよなぁ。
 けれど、寝られないという現象は事実だ。
 頭が冴えきっているなら、ということで、今度は麦とホップを飲み干してみた。

 これでどうだ。
 すこしだけ眠気を催したようだが、しかしそのまま寝付くことができなかった。
 結局、このあと一時間ほど悶々としてようやくうとうとしはじめたようだ。
 気がつくと午前 6 時だった。
 しかし、なにがあったのか? 

 これは予兆なんだ、と思うことにしよう。
 なにかが変わったのだ。そのために、その境目で偶然眼が醒めてしまったぼくは寝付けなくなってしまったのだ。
 きっとなにかが動き出したのだ。
 でなければ、悶々として過ごした時間はすべて無駄だったということになってしまう。

 それとも、だれかが来ていたんだろうか?
 ただぼくがそれと気づかずにいただけで。そういえば、そろそろお盆だしなぁ。ふむ。

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2013.07.11

海のある街    ポイント

 実は、今日から「海のある街──ポイント」を公開する予定だったが、仕事の都合や私生活のいろいろでまだ準備が整っていない。六月までとは違った毎日を送っているせいでもあるんだが、身辺を含めて落ち着くまでちょっとの間、公開を休むことにする。
 トラブルがなければ一週間ほどの休みで済むはずなんだが、さてそれがどうなるのかわからいところが人生の妙でもあるわけで、なにやら警戒すべきこともあったりする。
 今日、明日でそれははっきりするんだが、いまのところ、それはあまりいい方向へ向かっているとは思えない。
 ただ、あるドアが閉じるときというのは、別のドアが開くときでもあって、それがどこにあるのかそれがはっきりすれば「海のある街」の再開も近いと思う。
 もっと落ち着いてこの物語は書き続けていきたいので、しばらく休みが続いたとしても、かならず再開することは約束できると思う。
 もしかすると、そのときにはこの「海のある街」という物語が、もっともっとぼくの人生を表現することになっているのかもしれないけど。
 ともかく、再開のときまで、しばしお休みをいただく。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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