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2013.10.01

Bohemian Blues 3

 高校の頃だろうか、ストイックな生活に微かな憬れを感じていたことがある。
 ストア派の哲学のことなどまったく理解していなかったのにと片腹痛いけれど、あの頃はもっと単純に淡々と禁欲的で厳格な生活みたいなイメージを抱いていたと思う。
 まぁ、禁欲的というのもまたまた概念的な言葉で、さていったいなにが禁欲なのかということを考えていくときっと収拾がつかなくなるんだろう。けれど、ともかくその当時は贅沢品とは決別するみたいな理解をしていたようだ。たとえば、アメリカの農夫のような生活といえばいいだろうか。
 まぁ、ヒッピー文化にかぶれていたこともあるから、そのあたりの突っ込みは勘弁してもらいたい。

 ただ、この頃の憬れの気持ちというのはどこかでずっと引き摺っていたようで、正直にいうと今回の住み込みを決意したことにも若干影響している。いまだにストア派の哲学など理解はしていないが。
 ただ、規則正しくやるべきことを淡々をこなして生きていくというイメージが、ぼくの中で正しい生活のひとつとしてインプリンティングされていることは確かなようだ。
 そんなこと、いまではまったく正しい生活だとは思っていないが、しかし、頭の中での考えと、その昔に抱いたイメージとはなかなかうまく折り合いをつけられないことがあって、わかっちゃいるけど止められない類のひとつであることは確かなんだろう。

 で、いま朝早く起きて、それこそ労働に勤しみ、昼間は休憩をして、また夜まで労働して、仕事を終えると一杯やって布団に潜り込む生活をしている。
 でも、これストイックでもなんでもないよなぁ、といまでは実感している。
 ぼく中でのあの憬れはなんだったんだろう?

 確かに、なにかを選択する自由というのはとても限られていて、禁欲的といえばそれまでだけど、その反動が休みの日に来たりするとまったく意味をなさないしね。
 ただ、この生活を選んだからには、なにかを成し遂げないと駄目なんだろうと思う。
 自分の中ではきっと理解している目的がきちんとあって、それを達成するために、いま日々を送っているはずなのだ。
 ということで、ただ労働に振り回されるだけではなくて、自分にしかできないことをすこしずつだけど毎日実行している。それが花を咲かせて実になってくれるのかどうかは判らない。
 でも、そのためにいま生きているのだと思うようにしている。

 しかし、アメリカの農夫に憧れるというのはどこかトチ狂っていると思う。
 いまぼくがしたい生活はどちらかというとカーボーイ的な、いや違うな、もっとストレートにいってしまえばサーファー的な生活だろう。山の中にいるしかないぼくは、毎日、海の写真を眺めながら労働している。
 いつになれば、あの潮風を好きなときに浴びられるようになるんだろう。そんなことを思いながら、今日も労働に勤しんでいるわけだ。

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