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2013.05.06

海のある街    風の街 11

 気がつくと大晦日だった。時間の経過は歳を重ねるごとに早くなる気がする。
 五歳の子どもにとって一年は人生の五分の一にもなるが、ぼくの歳になってしまうと五十何分の一だ。だから、年々時間の経過が早く感じられるのだろう。
 ひとりで迎える年越し。
 こういうことになるとは年のはじめには思いもしなかった。人生、どこでなにがあるのか判らないということを実感するしかないんだろう。
 酒を飲みながらMacで映画を観て過ごす大晦日。締めくくりに天ぷら蕎麦を食べて年が過ぎようとしていた。
 日吉に住んでいたときには、すぐ近くに寺があったために鐘の音が鳴りはじめる頃だ。逗子では鐘の音を聞くことはいままでなかった。
 ぼくはふいに思い立ち二年参りすることにした。
 外出できる格好に着替えると革ジャンを着て、外に出た。風が冷たい。手がかじかんでしまいそうなほど冷たかった。すこし強めの風を浴びながらぼくは市役所の方へと歩いていった。
 延命寺の前で信号待ちをしていると、多くの人が延命寺の中で列をなしていた。
──なんだろう?
 不思議には思ったが、ぼくはそのまま亀岡八幡宮へと向かった。
 市役所の隣にある神社。境内はなだらかな岡で、カメの甲羅のような形をしていたために亀岡と名付けられたのだそうだ。隣の鎌倉が鶴岡八幡宮だからということもあるんだろう。
 ここもすでに多くの人が並んでいた。もうちょっとで境内の外、市役所の入り口近くまで行列ができそうだった。
 前に進む気配がなくてどうしてだろうと思っていたら、年が明けてから参拝することになっていたようだ。
 やがて法螺貝が吹き鳴らされると、ゆっくりと列が進んでいく。
 ほどなく順番がやってきた。社の前に立ち、賽銭を投げ入れると大きな鈴を鳴らし、参拝する。社の中では御神酒が用意されていて、参拝が終わった人に振る舞われていた。
 はじめての体験だ。
 ぼくはありがたく御神酒をいただいた。
 なんだかはじめて地元意識を抱いた気分だった。逗子市民になってもう三回目の正月だというのに、不思議な感覚だった。故郷を持たないぼくにとって、こんな感覚をいままで抱いたことはついぞなかった。
 その帰り道、ついでだからと延命寺にもお参りすることにした。
 ここで列を作っていたのは鐘をつく順番を待っていた人たちだった。
 ぼくはそのまま階段を登り本殿の中に入るとお参りをした。ここでも御酒が振る舞われていた。
 家に帰ると、はじめて抱いた感覚をそのまま忘れないようにと思いながら布団に潜り込んだ。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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