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2013年4月

2013.04.30

海のある街    風の街 7

 引っ越しはとても簡単だった。
 引っ越し屋のちいさなトラック一台で済んでしまった。引っ越しとはいっても逗子駅の西側から東側へと移動するだけだ。距離にして二キロあるかないか。
 ダイニングキッチンに冷蔵庫とテーブルを、続きの洋室にはソファとデスクを置くことにした。和室にはカーペットを敷いて整理ダンスを置いた。ここに布団を敷いて寝ることになる。
 あっけなく引っ越しが終わると、ダイニングテーブルに腰掛けてぼくはぼんやりと部屋の中を見た。
 ゆっくりと陽が沈みかけている。その残照が窓から零れてくる。
 近くのコンビニで買ってきたお茶の入ったペットボトルを飲むと、ひとつ溜息をついた。
 その音はちいさく部屋の中に響いた。
 その翌日のほとんどを部屋の整理に費やした。引っ越しは簡単に終わったとはいえ、それはただモノを移動させただけで、家の中をきちんと生活しやすいように片付けたわけではない。
 住む場所が変われば必要になるものも出てくる。
 午前中をネット環境の構築に費やした。昨日の夕方、回線の工事は終わっていたがインターネットを利用するための設定がまだだった。
 インターネットを利用するようなってもう十六年ほど経つ。どこへいってもまずネットの接続がぼくの場合は大切なことだった。そのあとデスク周りの整理をしているうちにいつの間にか昼になってしまった。
 午後は衣類と台所の整理だ。衣装持ちでもないし、食器の類は大量に処分したおかげでほどなく終わった。
 まだ陽が傾く前の時間帯。
 ぼくは海へいくことにした。
 引っ越す前は逗子開成の脇の道を通って西浜へと出ていた。家から海岸まで十分ちょっとの距離だった。
 今度は東浜へといくことになる。
 iPhone で地図を確認してからぼくは家を出た。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.29

海のある街    風の街 6

 しかし時間が経つにつれてその回数は減り、それまでまだふたりで散歩したりすることもあった海岸だったが、やがて一緒にこの砂浜を歩くことはなくなっていった。
 ぼくは時間があると毎日のように海へいき、波打ち際を歩きながら写真を撮ったり、あるいはジョギングをしたり、また夏になると他の海水浴客に混じって海で泳いだりした。いつのまにかぼくは真っ黒に日焼けして、Tシャツに短パン、ビーチサンダルというスタイルがすっかり板につくようになってしまった。
 逗子の海は、ぼくにとってはなくてはならないものになっていたのに比べて、元妻にとってここの海岸はどこか他の場所とあまり変わらない存在に落ち着いてしまったようだ。
 だから二年半以上も住んでいたこの海のある逗子という街を離れて、彼女は自らの故郷へと戻っていってしまった。ぼくの存在も逗子の海とあまり変わらない存在になってしまっていたのだろう。
 師走ということばをそろそろ聞きはじめようとしている頃、ぼくは新しい場所へ引っ越しをした。
 そこはこぢんまりとしたアパートだった。
 ダイニングの他に部屋はふたつ。独り身になったぼくにとっては広いスペースだった。
 家具の大半は彼女とともに彼女の故郷にいき、残っていたのは冷蔵庫とダイニングテーブル、それに整理ダンスがひとつとソファセット。その他には、ぼくのデスクとiMacにMacBookだった。
 調理道具はほとんどそのまま残っていたが、食器なんかは引っ越しの際に大量に処分した。男がひとりで住むだけなのだ。ミート皿のセットが五つも必要なければ、ナイフとフォークのセットもせいぜいふたセットあれば事足りる。
 引っ越しの際に頭を悩ませたのは大量の本だった。
 ぼくは無類の本好きだった。そのために段ボールで四十箱以上の本の類を、じつは溜め込んでいた。冊数になるとどれぐらいだろう。
 一番乱読したいた時期には、日に二冊から三冊ほぼ一年間読んでいたこともある。
 しかし、引っ越しのために荷物の整理をしているとき、押入の中に押し込んでいた本の詰まった段ボールをぼんやりと眺めながら、自分の位置を考えてみた。
 人生におけるいまの自分のポジションはなんだろう?
 人にはそのときそのときでいろいろなタイミングに遭遇する。たとえばなにかを学ぶ時期だったり、あるいは人と接する時期だったり、それは人を愛する時期だったり、働く時期だったり。
 きっといまのぼくは、それまでに持ち続けてきたモノを捨て去るときだったのだ。
 実は日吉から引っ越すときに 200 枚以上コレクションしていたレコードを売り払った。もうメディアとしてレコードを聴くことはないだろうという確信があったからできたことだった。
 でも本はそのすべてを逗子に持ってきた。実家に預けてあった雑誌の類もすべてだ。いままでぼくが生きてきた証のような存在に思えたからだ。ちょっとしたぼくの個人史的な意味合いもあった。
 それでも荷物が半分ほど片付いたがらんとした部屋に積まれている段ボールを見ているうちに、ぼくはすべて捨てる決心をした。
 そう、いまはいったんすべてを捨てるときなのだ。
 段ボールを車に積み込むとそのままブックオフへ持ちこんで処分した。あたり前の話だが、何度も往復することになった。そうやってすべてを捨てるつもりでいてもどうしても手放せない本があった。ちょうど段ボールで二箱分。それだけはそのまま一緒に引っ越しをすることにした。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.28

ビーサンのげんべい

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 逗子に住む際の必需品のひとつがビーサンだ。
 そう、ビーチサンダル。ぼくなんかは一年の 3/4 以上はこれを履いている。中には強者がいて、真冬でもサンダルで歩いている人を見かけることもあるが、さすがにそこまで鍛えているわけではないので、冬の間は靴を履いているけどね。
 桜の季節になったら、もうすっかりビーサンの季節といってもいい。
 ところが、去年の秋の終わりぐらいだろうか、それまで履いていた Crocs のサンダルの鼻緒の部分が外れることがあって、そろそろ新調しなければと考えていた。
 葉山には、じつはビーサン専門店があって、それが「げんべい」だ。○に「げ」と書いてあるマークを見かけたことがある人もいるだろう。げんべいのマークだ。

 ということで、今日、ビーサンを買いにいってきた。山をひとつ越えたところにげんべいの葉山長柄店がある。
 台の色は 10 色。鼻緒の色も 10 色。ようするに 100 種類の組み合わせができるということになる。サイズは 12 種類。まぁ、さすが専門店といったところだろうか。
 色の違うビーサンが並んでいるところは壮観なんだが、店内は撮影禁止らしく、写真は撮れなかった。残念。

 ぼくの靴のサイズは 25.5cm なんだが、ビーサンのサイズは 1cm 刻み。どうしたものかと思ったら店内にサイズ確認用のものが用意されていて、それを履いて確認。25cm だとぴったりすぎてなんとなくピチピチのパンツを穿いているような窮屈な感じがしたので、26cm のものを選択。
 色は、黒×黒にした。じつは、以前にも同じ色のビーサンを履いていたのだ。
 カラフルなものにしてもいいんだけど、さすがにピンクとかを選ぶ度胸もないので、ついついこういう無難な選択になってしまう。
 値段は 997 円。安い。ロゴ入りのものはもうちょっと高かったと思う。

 しかしなんだ、この価格だと色違いをいくつか買って、その日の気分で履き替えてもいいのかねもしれない。って、いやビーサンだからそこまですることはないのか?
 ともかくペタペタと音を立てながらビーサンで歩くと、海の季節だよなぁとなんとなく浮き浮きしてしまう。
 さてと連休中はビーサン履いて海までいって、のんびりとビールでも呑んでリラックスしましょうかねぇ。

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2013.04.26

海のある街    風の街 5

 そして二〇十〇年の四月にぼくは逗子に引っ越してきた。
 歩いて十分ほどで海までいける場所だった。
 引っ越してきたのはいいけど、逗子がどんな街なのかまったくぼくは知らなかった。ちょうどゴールデンウィークの直前に引っ越しをしたので、その連休の間あちこちをただ歩いて回った。
 もちろんはじめて逗子に来たとき最初に向かった逗子マリーナにもいってみた。
 JR 逗子駅と京急の新逗子駅の位置関係もわかったし、どこにどんな店があって買い物はどこですればいいのかも歩いて確認した。
 引っ越しの荷物の整理がだいたい終わった頃、元妻と連れだって海岸へいき、シートを広げて、サンドウィッチとビールでランチを食べた。
 天気のいい休日。
 海岸は多くの人たちで賑わっていた。
 東浜の方にはジェットスキーを楽しむ人たちがいて、西浜にはスクールがある関係かウインドサーフィンを楽しむ人たちがボードを並べてたむろっていた。
 シーカヤックを楽しんでいる人たちもいる。
 もう水着で海で遊んでいるこどもたちもいた。
 いままでぼくが住んできた街ではついぞ見かけることのなかった風景が、日常としてここにあった。
 いままで味わったことのない開放感を、ぼくは感じていた。
 このとき元妻はどうだったんだろう?
 海のある生活をどう考えていたんだろう?
 それでもまだこの年は、時間に余裕があるとこうやって海を眺めながらふたりでランチを食べることがあった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.25

海のある街    風の街 4

 海から吹いてくる潮風が気持ちよかった。
 しばらくの間、ただだまって突っ立ったまま海を眺めていたが、国道沿いにコンクリートの階段があって座れるようになっていたので、そこまで歩いて腰を下ろした。
 かなり歩いたことも確かにあるんだろうが、海を眺めていると頭の中にあったモヤモヤが綺麗になくなっていた。
「くつろぐ」とはこういうことをいうんだろうか。
 ぼくはいったんその場を離れると、途中で見つけた店にいき、缶ビールを買って、ふたたび海が眺められる階段に戻った。
 プルトップを開けてビールをひと口飲む。
 いつも飲んでいるビールとはまったく違った味がした。
 心がゆっくりとほぐれていくのがわかる。
 どれぐらいそこで海を眺めていただろう。いつもならすぐになくなってしまうビールだったけど、じっくりと時間をかけて飲み干した。
 ぼくは海がある生活ってどんなだろうと想像してみた。
 仕事で忙しいこともあるだろうけど、こうやってただじっと海を眺めて頭を空っぽにする時間があったらどんなに素晴らしいだろう。
 海の近くに住みたい。
 このとき、ぼくはそう考えていた。
 それから実際に引っ越しをするまでの三年の間に、海の近くに住みたいという願望は、逗子に住みたいという決意になっていた。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.24

海のある街    風の街 3

 南に向かって歩いている感覚はあった。
 それでもどこへいけば海へ出られるのか、まったくわからない。そもそも目的があったわけではなく行き当たりばったりで逗子に来てしまったから、あらかじめ地図を調べたりしていない。おまけに、当時はまだ iPhone なんかないから、GPS で位置を確認するなんてこともできなかった。
 なんとなく南に向かって歩いていればそのうち海へ出られるだろうと楽観していたぼくはそのまま歩きだした。
 郵便局に向かって歩くつもりだったが、なに気なく見上げた電柱に「逗子マリーナ」の広告看板を見つけ、この看板通りにあるけばいいんだろうと浅はかにも考えて、逆方向へと歩き出した。
 じつはそのまま歩いていればあと少しで「逗子海岸入口」の交差点に着くところだったのだ。
 逗子マリーナは思いの外遠かった。途中、何度も引き返そうとは思ったけど、もしかしてあと少しで海かもしれないと思うと戻ることができず、結局三十分近く歩いてやっとのことで小坪港に辿り着いた。
 けれどここはぼくが想像していた海岸ではなく、漁港とマリーナがあるだけで、砂浜がなかった。そのまま海沿いにと思ったが、道は行き止まりになっていて進めなかった。やむなくバス通りをとぼとぼと戻ることにした。
 駅の近くまで戻って「西浜入り口」という看板を見つけたぼくは、そのまま住宅街の中をあるき、逗子開成の横を通ってようやく海岸に辿り着くことができた。
 そのまま砂浜を歩き、波打ち際までいくと海を眺めた。
 海はとても碧かった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.23

海のある街    風の街 2

 二〇〇七年の四月。カート・ボネガットが亡くなった日の次の日曜日のことだ。
 ぼくは突然、そう、ほんとうに突然海が見たくなって出かけた。仕事で息が詰まりそうになっていたこともある。前の日に元妻と軽い口げんかをしたということもあった。
 そのままひとりで家を出ると東横線に乗って横浜へ出て、そこから京急へ乗り換えた。当時は、三崎口行き快特の後ろ四両が金沢文庫で切り離され、新逗子行きの各駅になる編成で運行していた。そのまま新逗子の駅で降り、ぼくは逗子へ第一歩を記した。
 JR に乗って辻堂へいってもよかったのだ。江の島でもいい。いや、鎌倉でもよかったはずだ。鎌倉なら大学の頃に何度かいっているし、湘南の海へは社会人になってからも海水浴でいったことがあった。
 なのにぼくは横浜駅で迷うことなく京急に乗り、そして新逗子を目指した。
 どうしてだろう。こういう言葉を使うのはあまり好きではないんだが、運命ということなのかもしれない。
 新逗子駅を出たぼくは、まず JR の駅へと向かった。たぶんそこが逗子の中心なんだろうと思ったからだ。
 バス通りを歩くとすぐに JR の駅に出た。
 ロータリーにはバス停がいくつも並び、タクシーが列をなしていた。いくつかのオフィスビルが建ち、主だった都市銀行の支店があった。
 商店が並ぶ通りをぼくは南に向かって歩き出した。
 逗子銀座通りだ。もちろんそのときのぼくはその通りの名を把握していたわけではない。開いている店に混ざってシャッターの閉まったところがぽつりぽつとある。
 地方都市でよく見られる商店街の光景といってしまえばそれまでだろうか。
 ファーストフード店も並んでいて、ちょっと安心したことを覚えている。街の活気の度合いが馴染みのチェーン店の数でわかるからだ。
 そのまま歩き続けて T 字路にぶつかった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.22

海のある街    風の街 1

 どうして逗子なの?
 ぼくが引っ越しを決めたとき、いろいろな人から訊かれた。いや、引っ越しをした後もだ。
 どうして逗子なの?
 元妻にもその理由がわからなかったようだ。いくぶん詰問にも似た口調で訊かれたこともあった。
 そう、どうして逗子を選んだのか、ぼくにもきちんと説明できなかった。
 なぜぼくは逗子を選んだのだろう?
 ぼくは逗子とは縁もゆかりもない。そもそも、はじめて逗子に足を踏み入れたのは二〇〇七年のことだ。
 京都で生まれたぼくはすぐに大阪に引っ越し、さらに幼稚園に上がる前に稲沢に引っ越している。大阪のアパートにいた頃の記憶は微かにあるが、きちんとした記憶として残っている最初のできごとは稲沢で体験した伊勢湾台風だ。ぼくが四歳になる前のこと。
 そこで小学校へ入学したが、四年生になるときに名古屋市へと引っ越しをした。名古屋市内ではさらに二回引っ越しをしているから、引っ越しの数はそうとう多い方だと思う。
 大学へ入学すると東京へと出て、親戚が近くにいるからという理由で新高円寺のアパートを借りて住むようになった。
 さらに、大学五年のとき、というか、二回目の四年生といった方が正しいかもしれないが、西荻窪に引っ越しをした。善福寺公園の近くのアパートだ。
 この引っ越しの前後がちょうど中野の喫茶店に入り浸っていた頃だ。
 それから家族が練馬へ引っ越してきたので、そのアパートを引き払い、富士見台で家族と一緒に住むことになった。
 引っ越しはさらに続く。
 そのあと家族が横浜の綱島へと引っ越しをすることになったので、一緒に引っ越しをしている。父も母もいまはこの家にいる。
 だからぼくの場合は生まれた家ではなく、この家が実家ということになる。ついでだからと本籍もここに移動した。
 その後、結婚を機にぼくは再び西荻窪のマンションを借りた。
 以前にも一度住んだことのある西荻窪だが、ぼくの好きな街のひとつだ。ここならいまでも移り住んでもいいと思っているぐらいだ。
 その後、やはり実家の近くがいいだろうということで綱島に引っ越し、さらに日吉に移り住んだ。一番長く住んだのは日吉のマンションだ。結婚生活の半分以上をここで過ごしている。
 だから逗子に引っ越したいといったとき、元妻がどうしてと問い糾すのも解らないではなかった。長年住み慣れた便利な場所から、見ず知らずの場所へ引っ越すわけだから、疑問に思うのもあたり前だろう。それまでに知り合った人たちと別れることにもなる。
 まるで根無し草のように引っ越しをしてきたぼくに比べて、元妻にはちゃんとした故郷があった。生まれた家がそのまま残り、結婚している間、年に一度は帰省をし、そしてぼくと別れるとその家へと戻っていった。
 そこは彼女にとって大切な場所であり、守るべき家でもあったのだろう。
 そういう意味での故郷を持たないぼくにしてみると、なにが大切でなにを守らなければいけないのか、想像することはできても理解することはできなかった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.21

なまけものの一日

 どうやら月に一日ぐらいはやる気が湧かない日があるようだ。
 湧かないというか、心のどこかに穴が空いていて、そこからやる気がプシューと抜けていくといった方がいいかもしれない。
 雨が降っていて、息子を駅まで送ったりといつもとは違う朝を過ごしたせいなのかもしれない。
 まぁ、言い訳だけど。
 でも、こういう日は無理をしない方がいい。
 走れるときに全力疾走すればいいんだから。
 ということで、朝一番の原稿書きはあきらめて、iMac の前を離れて降る雨を窓越しにぼんやりと眺めて過ごす。
 そういえば今日は海にもいってないなぁ。
 ということで、なまけものの一日を。

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2013.04.19

海のある街    ペーパーフィルター 15

 けれど実際に彼女がいなくなってみて、そしてこの家の空虚な隙間を見つける度に、その理由はいったいなんだったのか、解らなくなっていった。
 事実として、もう彼女はいない。
 そして、彼女の荷物はなにひとつ、彼女を思い出すモノすらもなにもなくなっている。
 それでも、なにかを失ったという実感はまだなかった。
 窓際に歩いていき、ガラス越しに小さな庭を見た。
 彼女はそこに植えていた草花たちも根こそぎ持っていった。
 そこに残っているのは錆だらけの小さなスコップと、そして割れて使えなくなった鉢だった。きれいに植わっていたはずの芝生もところどころが剥げ、あちこちから雑草が伸びている。
 この家は、もうぼくたちが住むべきところではなくなっている。
 きっと、彼女が別れることを決めたときからこの家の空気はすこしずつ変化をしていき、なにか輝きといったものが失せていったのだろう。
 ぼくはソファに戻ると、ふたたびカップに口をつけた。
 マスターの傷つき続けた八年と、これからぼくが生きていく時間は同じような意味を持つんだろうか?
 それとも、それは同じような種類に見えて、まったく違うことなんだろうか?
 改めて家の中を歩き、部屋をひとつひとつ確認してみた。
 どこもかしこもがらんとした部屋に変わっている。絨毯にそれまで置かれていた家具の跡が残っているだけだ。溜息をついてもそれさえ空虚な空間の中に吸い込まれてしまうようで、音が響くことすらない。
 もうこの家にいることはできない。
 ぼくは引っ越すことを決めた。
 もちろん、この逗子を離れるつもりはなかった。
 けれど、独りで住むのにふさわしい広さの家があるはずだ。それを探して引っ越そう。なんならこの家に残っているモノはすべて捨ててしまってもいい。
 そう決めて、ぼくはまたリビングに戻ると、珈琲を飲み干した。
 ぼくは傷ついているんだろうか?
 それともなにかを失ってしまったんだろうか?
 けれど、いまのぼくに解ることは、口の中に広がる珈琲の苦さだけだった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.18

海のある街    ペーパーフィルター 14

 カップを持ったままぼくはリビングスペースのソファに腰を下ろして、ひと口含んでみた。
 苦かった。
 あのときの泥水のような苦さではなかったけどいい感じだ。わずかな酸味がアクセントになっていた。
 カップをテーブルに置いて、部屋を眺めた。
 彼女が必要な荷物はすべて持ち出してしまったから、なんだかがらんとした部屋になってしまった。ここだけではない。家全体ががらんとして、ぽっかりと穴が空いたようになっている。ぼくだけでは埋めきれないスペースがこの家の中にできてしまったようだった。
 広がる珈琲の香りもこの空いてしまった隙間を埋め尽くすことはできないようだ。
 ぼくはなにかを失ったのだろうか?
 それとも自分でも気がつかないほど深く傷ついているのだろうか?
 珈琲に口をつけた。
 苦い味が口の中にゆっくりと広がっていく。
 たぶん生きてきた半分ほどの時間を、彼女とは一緒に過ごしたことになる。その彼女がぼくのところから去っていった。すれ違いはじめたのはいつの頃からだろう?
 逗子に引っ越しをしたのは三年ほど前。それまで重なるように寄り添っていたふたりの人生の道がゆっくりと距離を置きはじめたのだろうか?
 いや、そうじゃない。すれ違いは引っ越しをする前からあったのだ。
 もしかすると寄り添っていたように思っていたのは単なる錯覚で、別のアングルからふたりの人生という道を見てみたら距離があったのかもしれない。それに気がつかなかっただけなのかもしれない。
 まったく見知らぬ土地に引っ越しをして、日常を取り戻す間にふたりの関係も元に戻ればいいと楽観的に考えていた。
 実際にふたりの関係をやり直そうということでなく、新しいなにかをはじめるつもりで、ぼくは逗子での暮らしを考えていた。
 彼女はどうだったんだろう。
 いまさら訊くわけにもいかない。
 別れたいといわれたときも、その理由をきちんと訊くことはしなかった。
 それはきっと彼女のココロのうちを知ることが怖かったからだろう。
 ぼくは自分なりにいろいろと彼女の理由を考え、そしてぼくも別れるべき理由をいろいろと探して、そして納得して離婚届に判子を押した。そのはずだった。

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2013.04.17

海のある街    ペーパーフィルター 13

 ここからが真剣勝負。
 そんなつもりでポットを持ち上げる。
 粉の真ん中にゆっとくりとお湯を落とす。可能な限り細く、そっと置いていくように注ぐ。挽き立ての粉がまるで生き物のように膨らんでいく。
 できたらサーバーに落ちない程度のお湯の量を最初に注ぐ方がいいらしい。でも、プロじゃないからそのあたりの加減はむずかしいよな。
 今回はちょっと注ぎたのか何滴か落ちてしまった。
 サーバーを取り出すと、中のお湯や落ちてしまった雫を捨てて、ふたたびドリッパーを上に乗せる。
 三十秒ほど蒸らしたら、今度はのの字を書くようにゆっとくりと注いでいく。萎みかけた粉が再びゆっくりと膨れていく。
 やがて珈琲がサーバーに落ちはじめる。
 さらにのの字を意識してお湯を注いでいく。膨れた粉がフィルターから零そうになると、いったんお湯を注ぐのを止める。
 確か、お湯を注ぐのは三度だった。
 そうやってていねいにお湯を注いだ。
 注いだお湯がすべて珈琲になってサーバーに落ちきると、ドリッパーを外す。淹れ終わったあとのフィルターの中を確認してみる。お湯がすべての豆に行き渡っていると綺麗な崩れ方をするはずだ。
 今回はちょっとだけ形が悪かったかもしれない。
 なに、久しぶりだからこれは仕方ない。そう自分に言い聞かせた。
 ドリッパーを取り去ったサーバーから湯気が立ち上り、珈琲の香りが広がっていく。それをお湯で暖めたカップに注いだ。
 艶のある黒い珈琲で満たされたカップ。
 ぼくはそっと鼻を近づけ、眼を閉じるとその香りを楽しんだ。
 馥郁とした香り。
 過ぎていく時間が濃くなっていくようだった。とてもいい香りだ。

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2013.04.16

海のある街    ペーパーフィルター 12

 その日、家に帰るとがらんとしたダイニングのテーブルに腰を下ろした。
 買ったばかりの珈琲豆の袋をそっと開けてみる。焙煎して挽いたばかりの豆の香りがぼくの鼻をくすぐる。とてもいい香りだ。
 ぼくは普段着に着替えるとすぐにダイニングに戻り、まずお湯の用意をはじめた。
 蛇口に浄水器はセットされていたけど、冷蔵庫に残っていたミネラルウォーターがあったから、それを湧かすことにした。ポットにたっぷり水を注ぐ。
 妻が、いや元妻がよく飲んでいた水だ。買い置きしてあって、まだ二、三本残っている。ぼくは水を飲む習慣がないから開けてもすぐに飲みきれない。せっかくだからこれからは珈琲や紅茶を入れるときに使おう。
 次にドリッパーとサーバーを用意した。
 それから別れてはじめて買ったペーパーフィルターのグリーンの箱を開ける。買っておいたのはもちろん一〜二杯用だ。ビニールを開けて、一枚取り出す。
 フィルターの横を折って、底を反対側に折り、ドリッパーに乗せる。
 珈琲カップも棚から出しておく。
 しばらくしてお湯が沸きはじめた。紅茶を入れるときはしっかりと沸かした方がいいとマスターはいっていたと思うけど、珈琲のときはどうだったろう? とりあえず温度だけ注意すればいいか。
 ガスコンロを消すと、湯気が勢いよく飛び出しているポットを持ち上げて、ドリッパーにセットしたフィルターを湿らせ、珈琲カップにも注いで暖めた。
 ここでちょっとポットのお湯を冷ます。
 その間に買ったばかりの珈琲豆をフィルターに放り込む。今回はちょっと贅沢に三十グラム使ってみることにした。メジャーカップは十グラムだから三杯入れた。
 さてと、これで準備完了だ。

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2013.04.15

海のある街    ペーパーフィルター 11

「それじゃ、フルシティローストにしてみますか? シティローストよりもひとつ上で苦みが強く出るはずよ」
「じゃ、それでお願いします」
 ぼくは頷いた。
「二十分ほどかかるけど大丈夫かしら?」
 そういいながら彼女は豆を袋に移した。
「それじゃ、あとで取りに来ます。いいですか?」
「もちろん」
 彼女は頷いた。
「あと、ついでに挽いてもらいたいんだけど」
「わかりました」
「これも挽き方があるんですよね」
 また、ぼくは尋ねた。
「ええ、そうね」
「これは何段階ぐらい?」
 知らないことばかりだ。
「ざっくりと分けると五段階かしら。ドリップだと中細挽きがいいかしら。あっ、苦いのがお好きなんですよね。その〜」
 そういいながら彼女は笑った。
「泥水」
 ぼくは頷いた。
「だったら、もうちょっと細かい方がいいかもしれない。細挽きにしておきましょうか」
 そういいながら彼女はレジの方へと歩き出した。
「煎り方で苦さが変わるのと同じように、理由があるんですか?」
 ぼくもレジへと向かいながらさらに訊いた。
「細かく挽いた方が苦みが出るの。だからエスプレッソに使うのは極細挽き。ドリップだとたいていは中細挽きでいいんだけど、もっと苦い方がということであれば、もう少しだけ細かい方がいいかもしれないわ」
 レジに戻った彼女はくるりと振り向くとぼくの顔を見ていった。
「じゃ、それでお願いします」

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2013.04.13

御召御納戸? - Kyoto Camera -

Kcam0413

 御召御納戸の色っていきなりいわれてもわかりませんが、ときにはこの色なんだっけと思うことがある。
 そこでこのアプリ。
 カメラアプリなんだが、被写体に iPhone を向けると、画像の中心点の色を教えてくれる。
 もちろんそのまま撮影もできるし、色の名前といっしょに保存することもできる。おまけに Twitter に投稿することもできてしまう。

 外出中の写真はもっぱら iPhone なんだが、色の名前を確認できるというのはおもしろい。もっとも、このアプリで撮影するかといわれると、ちょっと考えてしまう。いや、いろんなアプリを実は揃えてはいるんだけど、結局デフォルトのカメラでしか撮影していないのだ。
 だって起動が楽なんだもん。

 で、ものは試しということで海へいき、どんな色なのかを確認してみたら。なんと「御召御納戸」という色だそうです。この色。
 ちなみに調べてみると、御召って徳川十一代将軍家斉の御召しになった縮緬に由来しているんだそうだ。渋みのある青色だって。
 カラーコードは「#4c6473」。RGB だと、R:30、G:90、B:108 だそうです。

 値段も 85 円だし、色の名前をちょっと確認して、蘊蓄傾けるのにはちょっといいかも。
 なんだか iPhone のアプリらしいアプリだね。


■ KyotoCamera — 日本の伝統カメラ
KyotoCamera — 日本の伝統カメラ - Higashi Dance Network
 ※掲載時の価格なので、ちゃんと確認をしてから購入してください。

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2013.04.12

海のある街    ペーパーフィルター 10

「量は、どうしますか? 」
「まず、百グラムだけもらっていいですか?」
 ぼくは遠慮がちにいった。
「百グラムですね。焙煎は?」
「ドリップで淹れたいんですけど、どのぐらいがいいんですか? 」
 ぼくは尋ねた。
「度合いは八段階に分かれてるんです。そうですね、好みがありますから、ドリップだからこれ、というわけじゃなんいですよね。喫茶店なんかのレギュラーコーヒーだと、ふつうはハイローストかしら」
 彼女はそういうとぼくの顔を見た。
「それだと、八段階の何番目ですか?」
 ぼくは訊き返した。
「四番目よ。煎り方が浅いと酸味がいい具合に出るの。店によっても違うけど、だいたいこのハイローストか、五番目のシティローストね」
 彼女は頷きながら答えた。
「それよりも深くなると焦げ臭くなるとか……」
「あら、そんなことはないわ。カフェ・オレなんかに使うフレンチローストだと七番目になるけど、深くて美味しいわよ」
 そういいながら彼女は眼鏡をずり上げた。
「八番目は?」
「イタリアンローストね。エスプレッソに使うの」
「そうか」
 ぼくはちょっと腕組みをして考えた。
「どんな味が好みかしら?」
「えっと、できるだけ苦いだけがいいんです。昔、よく通っていた喫茶店のマスターには泥水みたいな珈琲が好きなんだな、っていわれてたけど」
「泥水って、どんな味?」
 彼女はそういってちょっと吹き出した。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.11

海のある街    ペーパーフィルター 9

 珈琲を淹れるためには、豆を買わなくてはいけない。ペーパーフィルターだけでは淹れられない。
 どこで買おうかいろいろと悩んでしまった。
 というのも、いまぼくが住んでいる逗子にはいわゆる専門店がないのだ。袋に詰められ、スーパーの棚に並んでいるコーヒー豆を買うなら、元妻が飲んでいたように、コーヒーメーカーとか、それこそインスタントのパック式のもので充分だ。
 せっかくだからちゃんとした豆を買いたい。
 マスターがいっていたのは、煎った豆は一週間で駄目になる。挽いた豆は三日で駄目になる、ということだった。学生だったぼくは、あの頃、電動ミルを買って、マスターに調節してもらい、それを使って珈琲を淹れる前に豆を挽いていた。
 ただ、いまのぼくはさすがにそこまでやる気はなかった。
 百グラムの豆を挽いてもらって、三十グラム使えば、三杯で消費できる計算だ。これならほぼ三日で呑み終わる。一日に二杯呑むつもりなら二百グラムでいい。
 どうしようかと思っていたんだが、ある日、仕事先をぶらぶら歩いていたら、珈琲の専門店を見つけた。ただ豆を売っているだけではない。そこで焙煎もしている。
 しかも紅茶の種類も豊富に置いてある上、カップやグラス、珈琲を淹れるための道具や紅茶のポットまで用意されていた。仕入れができる卸店のような塩梅だ。
 ここならまともな豆が買えそうだった。
「珈琲豆をください」
 レジに立っていた女性に声をかけた。
「はい、なんになさいます?」
 眼鏡を掛けた女性だった。中学生の子どもがいてもおかしくない年代だろうか。
「マンデリンってありますか?」
「ええ、ありますよ」
 そういいながら、レジから離れるとコーヒー豆が入ったケースのところへ歩いた。
 ぼくもいっしょに豆のケースのところへついていく。
 ケースの中の豆は薄いグリーンをしていた。
「この豆って、まだ煎ってないんですか?」
「ええ、これからお好みの度合いで焙煎します」
 女性は笑顔で返した。


※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.10

海のある街    ペーパーフィルター 8

「そんなものなの?」
「かさぶたは早く作ってしまった方が綺麗に治るんだ。そのためにも傷口が開いている間に、たっぷりと塩を塗るってわけだ」
「楽しんでるだけじゃないの?」
「まぁ、それもある」
「ほら、やっぱり」
「でも、付き合ってたのはせいぜい一年ぐらいだろ」
「まあね」
「じゃ傷口だってそんなに大きくはないさ」
「マスターはどうなの?」
「俺か、俺は自慢じゃないが八年間、傷つき続けている」
 「八年って……」
「だからいったろ、経験者なんだからよく解るんだよ」
 ぼくは言葉を失った。
「どうだ、ブルマン美味しいだろ。他の店じゃぜったいに飲めないからな」
「うん」
「おまけに、ジャニス・イアン付きだし」
 マスターは声を上げて笑った。
 八年傷つき続けているって、どうなんだろう?
 当時のぼくには想像もつかない長い時間だった。
 大学四年のぼくはその頃、二十三才だった。一年浪人しているから、他の人よりもひとつだけ歳上だ。その三分の一以上の年月、ひとりの人を想いつづけて、しかもそれが実らないというは、どうなんだろう。
 マスターが負っている傷の広さと、そして深さをぼくなんかが知ることはきっとできないに違いない。ぼくはそう納得することにした。
 水を飲み干して、口の中の味を洗い流すと、ぼくはいつもの珈琲を頼んだ。
「泥水でいいのか?」
 マスターが訊く。
「とびっきりの泥水を」
 ぼくはそう答えた。
 あの日、飲んだぼく専用のただ苦いだけのブレンドはいつもとは違った味がした。
 それは産まれてはじめて飲んだ、正真正銘のブルーマウンテンのせいだったのかもしれないし、マスターが傷つき続けている八年という年月の重さのせいだったのかもしれない。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.09

伝え方が 9 割

伝え方が9割  今年の 2 冊目。佐々木圭一「伝え方が 9 割」読了。
 ありゃま。まだ今年に入って二冊目なのか……。って、いろんなものをいろんなツールで読んでいるので、そういう数字にはこだわるまい。だいたい今年は小説の年にするつもりで、書いてはいるものの読む方はさっぱりだから、どうだってよろしい。ということにしておこう。

 著者はコピーライター。なにを隠そう、ぼくも昔はコピーライターだった。いや、いまだってコピーも書くけど、しかし彼は売れっ子でいろんな賞を獲得していて、こちらはそういう意味では仕事はさっぱりだから、いまさらコピーライターと名乗るのはおこがましいかもしれない。
 でも言葉を書くことをこうやって体系化して、きちんとテキスト化できるというのは大したものだと思う。いや、ほんとう。
 その証拠にこうやってぼくなんか本屋で立ち読みするだけではあきたらず、ついつい買ってしまっているわけだから。おまけにかなり売れているようだ。

 でその内容なんだが、ああなるほどというまとめ方をしている。
 ぼくはなんかは、そうかあの時に作ったコピーはこの手法だったかとあれこれ懐かしくも思い出してしまったぐらいだ。それでもこういう形で体系化することができず、その都度うんうん唸って捻りだしていたなぁ。
 ということで、言葉を書くということに興味があれば一読する価値はあると思う。
 個人的には、もっともっと内容を濃くして欲しかったけど、そこはそれ彼なりの企業秘密というやつもあるんだろうからそのすべてをさらけ出すことはできないだろう。

 でも考えて書くということは確かにいいことかもしれない。
 ぼくもこれからもっともっと考えて書くことにしよう。
 今年は、もういいからと人にいわれるぐらいアウトプットしたいからね。

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海のある街    ペーパーフィルター 7

「ブルーマウンテンって」
「生産量が少ないんだよ。ちゃんとした量が入ってこないから、なかなか出せないんだ」
 マスターも自分用のカップに淹れて飲んでいる。
「どう?」
「美味しいよ」
 まるで試されているようだったので、とりあえずそう答えた。
 美味しい。でももっと個性的な味なのかと思っていた。
 そう思いながら氷水を口に含んだ。
 そのとき、思いも寄らない味を感じた。
 甘かった。ただの氷水なのにとても甘い。
 ということは──
「水が、甘い」
 ぼくは感じたままのことをいった。
「ほんとうの苦さなんだよ、これが」
 マスターはそういって頷いた。
 いつしかレコードが終わっていた。プレイヤーのところへ歩み寄ると、マスターはレコードを仕舞い、別のレコードをターンテーブルに乗せた。ていねいに針を落とす。
 音楽が流れはじめ、ぼくは思わず苦笑した。
 ジャニス・イアンだった。
「なんで?」
「ほら、こういうことは何度も味わっておかないと」
 ジャニス・イアンには曰くがあった。
 この店を知る半年ほど前、ぼくはこっぴどいフラレ方をして落ち込んでいた。原因はぼくにある。けれど、なにもそういった別れ方を選ばなくてもと思うような形でフラれたのだ。
 ぼくをフッたその彼女が大好きだったのが、このジャニス・イアンだった。
「傷口に塩を塗るってわけだ」
 ぼくは皮肉っぽくいった。
「傷はそのまま放っておくより、こうやって何度も何度も繰り返すことで綺麗に消えるんだよ」
 マスターは腕組みをして頷いた。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.08

海のある街    ペーパーフィルター 6

 いつも賑やかなその店も、ときには客がまったくいないときがある。
 まるでエアポケットのようにその時間だけ、人がいなくて、ただ静かな時だけが流れる。
 滅多にないことだけど、あのときはどうしてだろう早い時間帯だったからか、マスターとふたりきりだった。
 店に入ると、黙ってカウンターの真ん中に座った。
 マスターも黙って、氷がいっぱい入ったグラスに水を注いでそのまま出す。
 ときどき製氷機が音を立てる。できた氷が保冷庫に落ちる音だ。
 こういうとき、マスターはただ静かにレコードを聴いている。
 ぼくもときどき水を飲んで、ただ静かに音楽を聴いていた。あれは、ジャズギターのレコードだったろうか?
 マスターのコレクションがどれほどあるのか知らなかったけど、店に置いてあるレコードの枚数はそれほど多くない。せいぜい二、三十枚だったはずだ。
 しばらくしてマスターが豆を挽きはじめた。
 ポットが湯気を上げている。
 ペーパーフィルターをドリッパーにセットすると、お湯を注いで湿らせた。そこへいま挽いたばかりの豆を入れる。いつものマスターの真剣勝負がはじまる。
 ゆっくりと身体ごと動かして珈琲を淹れる。
 注いだお湯がすべてサーバーに落ちきると、いつも使っているカップよりも小さめのものに珈琲を注いだ。そのカップを乗せた皿ごとぼくの前に出した。
「飲んだことないだろ」
 マスターが口を開いた。
「なに?」
 ぼくはカップに手を伸ばした。
「ブルーマウンテン。やっと、少しだけ手に入った」
 マスターはそういうと嬉しそうに笑った。
 カップを持ち上げて、まず香りを嗅いだ。上品な珈琲の香りだった。もっと強烈なものなのかと思ったが、そうではなかった。
 ひと口、飲んでみる。
 心地いい苦みが口の中に広がり、すうっと消えた。
 とても飲みやすかった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.07

SHERLOCK

SHERLOCK / シャーロック [DVD]  いつも夜は酒など呑みながら Hulu で主にアメリカのドラマなんかを見ている。今月は「フリンジ」のシーズン 2 をやっているので、これと「Numb3rs」のシーズン 5 を観ている。
 他にも観たいものはいっぱいあるんだが、たとえば「メンタリスト」のシーズン 3 以降だったり、「キャッスル」を頭から観直したいんだが、観ることができない。まぁ、配信がされたらされたでいいかといった感じなので、それまでは他のドラマや映画を観てればいいやと思ったんだが、どうやら新しいドラマをやっているらしいので、それをちょっと観てみた。
 それが「SHERLOCK」。文字通りシャーロック・ホームズのドラマなんだが、時代設定は現代のロンドンになっていて、ストーリー自体もコナン・ドイルの作品をベースにはしているが、新しいドラマになっている。

 とりあえずちょっとだけのつもりで観はじめたら、なんとこれがおもしろいわけで、ついつい真剣に観てしまったのだ。
 ホームズは原作そのまま、ワトソンもそれに近いだろうか。自宅もちゃんとベーカー街。
 で、第一話のタイトルが「ピンク色の研究」。「緋色」じゃないのか、と思わず突っ込んでしまったが、キャラクターの描き方も、ドラマのテンポも、またカメラワークだったり、これがなかなか見事。

 制作は BBC。イギリスの公営放送だ。
 こういうドラマがちゃんと作れるのは羨ましい。
 なぜに日本では、と考えちゃうんだが、まぁ、某国の国営放送はそういえば「坂の上の雲」はちょっと頑張ったかみたいなところはあるけど、このところ残念な感じが多いからなぁ。特に大河ドラマなんて見ていられなくなっちゃったしねぇ。あれシナリオがもう滅茶苦茶だからなぁ。

 まぁ、それはいいとしてこの「SHERLOCK」おもしろいです。
 90 分ドラマで、シーズン 1 と 2 がそれぞれ 3 本ずつ制作されている。ということで、「ピンク色の研究」は観終えたので、今日は次のエピソードを観る予定。
 こういうおもしろいドラマがもっとどんどん観られるといいんだけどねぇ。
 いまのところ Hulu に頑張ってもらうしかないのかなぁ。配信してください、って。ふむ。

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2013.04.06

ギターのチューニングアプリをもうひとつ

Clear0406

 先週、ギターのチューニングアプリとして「PolyTune」と「HardWire HT-6 FastTune」をダウンロードしたばかりだというのに、もうひとつ見つけてしまったので、ついついポチってしまった。
「Cleartune」だ。たぶん CM に出ているのはこのアプリだと思う。
 とかいって、あまりテレビを見ないので確信はないんだけどね。
 これは「PolyTune」と同じように単弦でチューニングしていくタイプ。オプションの説明などが日本語になっていて画像も綺麗で判りやすい。
 メーターが一目でわかるから合わせやすいだろうと思ったけど、ぼくのやり方だと、どうも「PolyTune」の方が楽にチューニングできるみたい。
 というのも、動きが微妙なのだ。残響音も動きに影響与えるみたいだし。

 ただ、こっちの方が細かなセッティングには向いているようなので、もしかすると使いこなしていけば「Cleartune」の方が合わせやすいということになるかもしれない。それにいろいろな楽器にも使えるみたいだし。
 ギターをケースから引っ張り出すたびに、ということで、ぼくの場合はほぼ毎日なんだけど使うものだから、使い込んでいくうちにどっちが使いやすいのかはっきりするだろう。そのときには、また改めて blog で報告することになるかもしれない。
 しかし、このアプリも 350 円だよ。こんな価格でチューナー買えるんだから、ほんとうにいい時代になってるよねぇ。


■ Cleartune - Chromatic Tuner
Cleartune - Chromatic Tuner - Bitcount ltd.
 ※掲載時の価格なので、ちゃんと確認をしてから購入してください。

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2013.04.05

海のある街    ペーパーフィルター 5

 この店で教えられたのは珈琲や紅茶の味だけではなかった。
 バックギャモンとドミノもこの店で遊び方を覚えた。
 バックギャモンは骰子と駒を使ったボードゲームだ。十五個の駒すべてをゴールさせることが目的。このタイプのゲームは世界中にいろいろな類型があるらしい。日本では、雙六という名で奈良時代から親しまれていたようだ。調べてみると、持統天皇のときに禁止令が出されているらしい。賭博としての要素があるからだろう。ただ、この雙六はたびたび禁止令が出され、昭和の初期には完全に姿を消したようだ。
 いまバックギャモンが楽しまれているのは、アメリカで発明されたダブリングキューブのルールのおかげだ。
 ふたつの骰子を振って、その目の数だけ駒を進めていくんだが、相手の駒が複数あるポイントには進めなかったり、相手の駒をヒットすることができたりとそのシンプルなルールの割にはきちんとした戦略性があり、やってみると填る。骰子の目によって確立されているセオリーを知れば知るほどゲームがおもしろくなっていく。
 このゲームをこの店の常連客たちと遊ぶ。
 常連にはいろいろな人たちがいて、中野で仕事をしている人や、中野に住んでいる人、それからマスターの友人たちと、それこそいろいろな年齢の、さまざまな仕事をしている人たちがいた。中には株の取引で生活している人もいたなぁ。
 そんな人たちとバックギャモンをやり、いままでまったく知らなかった人たちと知り合いになっていく。それもこの店の楽しみのひとつだったのかもしれない。
 バックギャモンが二人でしか遊べないのに対して、ドミノは四人で遊べた。
 どうやらいろいろな遊び方があるらしいんだが、この店でプレイしていたのはカンテットというゲームだ。向かい合った同士がチームとなって、ドミノを繋げていき、点を取り合う。
 一番端に置かれたドミノの目を足して、五の倍数にあると点となる。目の数が五なら一点、十なら二点だ。
 ゲームが終わると、手に残ったドミノの目の数も同じように計算する。この点は相手のものになってしまう。それぞれのチームの合計で勝ち負けが決まる。
 何回戦か続ける場合には、点の差が勝った方の得点になり、それを加算して勝ち負けを決める。
 バックギャモンは骰子の目という偶然性がゲームを大きく左右するが、ドミノはどちらかというと手の中のどの牌をどうやって配置していくのかという思考性が大きく影響する。これもやりはじめると止まらなくなってしまうほどのおもしろさがある。
 マスターに誘われて、三人の友だちと海に泊まりがけで遊びにいったとき、海には入らず、砂浜で一日ドミノをプレイして、変な日焼けをしたのはいまとなってはいい思い出のひとつでもある。そんな馬鹿なことができるのは、大学の頃しかなかったろうし、こうやって遊べるのは同じ年頃の友だちとマスターしかいなかっただろう。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.04

海のある街    ペーパーフィルター 4

 皿の上に乗ったカップがテーブルに置かれる。
「苦いだけなのがいいんだろ」
「うん」
 ぼくはそう答えて、ひと口珈琲を含んだ。コクのある苦みだけが口の中に広がった。酸味はまったくといっていいほど感じられなかった。
「いいよ、これ。美味しい」
「苦いだけだろ」
 マスターは笑いながら答えた。
「なんの豆なの?」
「これか? インド・マイソールとマンデリンをメインにブレンドしてみた。こんな泥みたいな珈琲が好きなのはお前だけだよ」
 そういいながらマスターは水の入ったグラスに氷を入れ直した。舌に残った味を綺麗に洗い流すには氷水が最適らしい。飲み物に対してはどこまでもこだわりがある。
 その日からマスターはぼくのためだけに、ただ苦いだけの泥水のような珈琲を淹れてくれるようになった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.03

海のある街    ペーパーフィルター 3

 ぼくは苦みのある珈琲が好きだった。ただ酸味は好みではない。だから珈琲を銘柄で選ぶとしたら、だいたいスマトラ・マンデリンということになる。ちょっとした専門店だとだいたいメニューにある銘柄だ。
 だからといってこれを頼んでもマスターは素直に淹れてくれない。
「苦いだけがいいのか?」
 いつだったか、そう訊かれたことがあった。
「酸味はだめ。できたらない方がいい」
「わかった。明後日淹れてやるよ」
 そんな話をした、その当日。
「いい豆が入ったから」
 マスターはそういうと、真新しい袋から豆を取り出しその場で挽き、いつものように珈琲を淹れてくれた。
 ドリッパーにペーパーフィルターをセットすると、沸騰したお湯の入ったポットから直にお湯を注ぎ湿らせる。この間が大切らしい。ガスレンジから降ろしている間にお湯の温度が下がる。珈琲を淹れるのに最適なお湯の温度は九十五度前後なんだそうだ。
 挽き立ての粉を入れるとドリッパーを軽く叩いてならす。そのあと、ゆっくりとしかも可能な限り細くお湯を注いでいく。粉がゆっくりと膨れあがり、ペーパーフィルターから零れそうなほど盛り上がっていく。サーバーにお湯が落ちていたら、一度、それを捨てる。
 それからふくらみ具合を確かめて、お湯を注ぐ。さっきは中心のところにお湯を置いていった感じだったが、今度はのの字を描くように注いでいく。萎みかけた粉がまたゆっくりと膨れあがって、サーバーへ珈琲が落ちていく。
 お湯を注ぐのは三度。どうやらこれはマスターが自分に課したやり方のようだ。
 時間にしてみれば五分も経たない短い時間だが、彼にとって珈琲を淹れることは真剣勝負を挑んでいるようにものらしい。息を詰め、両脇をしっかり締めて、手先ではなく身体ごと動かしてお湯を注いでいく。
 このときだけ、マスターの周りの空気は張り詰めたようになる。
 淹れ終わると、予めお湯を注いで温めていたカップを空にして、サーバーから珈琲を注ぐ。サーバーに少しだけ残った珈琲はマスターの確認用の分だ。これは自分専用のカップに注いで味を確かめる。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.02

海のある街    ペーパーフィルター 2

 中野の北口にあるサンモールという商店街をまっすぐ歩いて、ブロードウェイの手前で右に折れたところにその店はあった。
 カウンターが十席ほど。その他に二人用のテーブルがふたつだけ、しかも壁に作り付けの小さなテーブルがあるとても狭い店だった。
 営業時間がきちんと決まっているわけではない。昼頃には店を開け、客がいる間はやっている。ときには明け方まであれこれ話し込んでしまうこともあったぐらいだ。
 大学の四年ともなると、授業はほとんどない。だから、ぼくらはこの店に入り浸っていた。なにかあるわけではないけど、とても居ごごちのいいところだった。夕方になるとこの店で珈琲を飲むのが一種の決まりごとのようになっていて、ほとんど毎日のようにここにいた。
 この店にはメニューはあるが、じつは素っ気ない。珈琲だとアメリカンのような軽めのものか、ちょっと苦みと深みのある珈琲しか書いていない。客の好みによってブレンドした豆で淹れるのが、どうやらマスターの主義のようだった。
 その癖、紅茶となるときちんと銘柄が書いてあって、ダージリンやアッサム、セイロンはもちろんウバなどがあった。
 ぼくが好きだったのはキームンだ。中国の紅茶でやや甘い香りがする。ただこの香りに騙されてはいけない。ちゃんとした紅茶はカフェインが多い。キームンを飲んだ日はたいてい眠れなくて、明け方まで本を読んだり、仕方ないからレポートを書いていたりしたことがあった。
 頼めば日本茶も出してくれる。しかも、玉露だけ。これは一度だけ飲んだことがあった。日本茶の美味しさをはじめて実感したのもこの店でだ。
 その他にはココアもメニューにある。ただし、マスターはこだわる方なのでココアを頼むとパウダーを牛乳で徹底的に練る。それもかなり時間を費やして練る。これは傍目に見てもかなりの重労働だった。だから、ぼくら常連たちはココアを頼むときはほとんどマスターに対する罰ゲーム的な意味合いが籠もっていた。
 夏場に頼むアイスココアは絶品だったが、そのおかけでそうそう頼むことはできなかった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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2013.04.01

海のある街    ペーパーフィルター 1

 いままでぼくが知り合った、すべての人へ。

 これは喪失のものがたりだ。


  ── ペーパーフィルター ──

 妻と別れて最初に買ったのは、ペーパーフィルターだった。
 ドリップ式のフィルターだ。
 妻は──いや、いまは元妻だった──、コーヒーメーカーで淹れたり、パック式のもので充分だからといって、ペーパーフィルターを買うことはなかった。ヤカンではちゃんとした珈琲が入れられないからと、専用のポットをぼくは持っていたのに肝心のフィルターを買うことはなかった。
 きっと珈琲のほんとうの美味しさを味わったことがないからだ。ぼくはそう思っている。
 結婚してしばらく、だからぼくは家で珈琲を飲むことはほとんどなかった。彼女が淹れてくれた珈琲は、ぼくが知っている珈琲とは別のものだった。それでいつも紅茶を飲むようにしていた。
 結婚をすると、それまでのやり方をすこしだけ変えていく必要がある。それは生活のリズムだったり、あるいはそれまでのスタイルだったり、ぼくなりの儀式といったことを捨てたり、方向修正したりしていくことになる。
 独りで住んでいたときとは違うのだ。
 ましてや子どもができると生活は一変する。
 だから珈琲を、それまでの淹れ方で飲めなくなってもそんなに不満はなかった。
 ぼくに珈琲のほんとうの美味しさを教えてくれたその喫茶店は、中野にあった。
 あれは大学の四年の頃だ。だからもうずいぶん昔の話になる。
 普通、珈琲を入れるときに使う豆はだいたい十グラムから、せいぜい十五グラムぐらい。それを湿らせたペーパーフィルターに放り込んで淹れる。
 でも、その店は違った。最低でも三十グラムは使う。ときには四十グラム使うこともあった。
 しかも、豆にもこだわりがあって、注文によっては煎り方の違うものを混ぜたりと採算を度外視して珈琲を飲ませてくれた。
「趣味でやっているようなものだからなぁ」
 マスターはいつも、伸ばし放題伸びている髭を撫でながらそういっていた。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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