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2013.04.29

海のある街    風の街 6

 しかし時間が経つにつれてその回数は減り、それまでまだふたりで散歩したりすることもあった海岸だったが、やがて一緒にこの砂浜を歩くことはなくなっていった。
 ぼくは時間があると毎日のように海へいき、波打ち際を歩きながら写真を撮ったり、あるいはジョギングをしたり、また夏になると他の海水浴客に混じって海で泳いだりした。いつのまにかぼくは真っ黒に日焼けして、Tシャツに短パン、ビーチサンダルというスタイルがすっかり板につくようになってしまった。
 逗子の海は、ぼくにとってはなくてはならないものになっていたのに比べて、元妻にとってここの海岸はどこか他の場所とあまり変わらない存在に落ち着いてしまったようだ。
 だから二年半以上も住んでいたこの海のある逗子という街を離れて、彼女は自らの故郷へと戻っていってしまった。ぼくの存在も逗子の海とあまり変わらない存在になってしまっていたのだろう。
 師走ということばをそろそろ聞きはじめようとしている頃、ぼくは新しい場所へ引っ越しをした。
 そこはこぢんまりとしたアパートだった。
 ダイニングの他に部屋はふたつ。独り身になったぼくにとっては広いスペースだった。
 家具の大半は彼女とともに彼女の故郷にいき、残っていたのは冷蔵庫とダイニングテーブル、それに整理ダンスがひとつとソファセット。その他には、ぼくのデスクとiMacにMacBookだった。
 調理道具はほとんどそのまま残っていたが、食器なんかは引っ越しの際に大量に処分した。男がひとりで住むだけなのだ。ミート皿のセットが五つも必要なければ、ナイフとフォークのセットもせいぜいふたセットあれば事足りる。
 引っ越しの際に頭を悩ませたのは大量の本だった。
 ぼくは無類の本好きだった。そのために段ボールで四十箱以上の本の類を、じつは溜め込んでいた。冊数になるとどれぐらいだろう。
 一番乱読したいた時期には、日に二冊から三冊ほぼ一年間読んでいたこともある。
 しかし、引っ越しのために荷物の整理をしているとき、押入の中に押し込んでいた本の詰まった段ボールをぼんやりと眺めながら、自分の位置を考えてみた。
 人生におけるいまの自分のポジションはなんだろう?
 人にはそのときそのときでいろいろなタイミングに遭遇する。たとえばなにかを学ぶ時期だったり、あるいは人と接する時期だったり、それは人を愛する時期だったり、働く時期だったり。
 きっといまのぼくは、それまでに持ち続けてきたモノを捨て去るときだったのだ。
 実は日吉から引っ越すときに 200 枚以上コレクションしていたレコードを売り払った。もうメディアとしてレコードを聴くことはないだろうという確信があったからできたことだった。
 でも本はそのすべてを逗子に持ってきた。実家に預けてあった雑誌の類もすべてだ。いままでぼくが生きてきた証のような存在に思えたからだ。ちょっとしたぼくの個人史的な意味合いもあった。
 それでも荷物が半分ほど片付いたがらんとした部屋に積まれている段ボールを見ているうちに、ぼくはすべて捨てる決心をした。
 そう、いまはいったんすべてを捨てるときなのだ。
 段ボールを車に積み込むとそのままブックオフへ持ちこんで処分した。あたり前の話だが、何度も往復することになった。そうやってすべてを捨てるつもりでいてもどうしても手放せない本があった。ちょうど段ボールで二箱分。それだけはそのまま一緒に引っ越しをすることにした。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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