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2013.04.19

海のある街    ペーパーフィルター 15

 けれど実際に彼女がいなくなってみて、そしてこの家の空虚な隙間を見つける度に、その理由はいったいなんだったのか、解らなくなっていった。
 事実として、もう彼女はいない。
 そして、彼女の荷物はなにひとつ、彼女を思い出すモノすらもなにもなくなっている。
 それでも、なにかを失ったという実感はまだなかった。
 窓際に歩いていき、ガラス越しに小さな庭を見た。
 彼女はそこに植えていた草花たちも根こそぎ持っていった。
 そこに残っているのは錆だらけの小さなスコップと、そして割れて使えなくなった鉢だった。きれいに植わっていたはずの芝生もところどころが剥げ、あちこちから雑草が伸びている。
 この家は、もうぼくたちが住むべきところではなくなっている。
 きっと、彼女が別れることを決めたときからこの家の空気はすこしずつ変化をしていき、なにか輝きといったものが失せていったのだろう。
 ぼくはソファに戻ると、ふたたびカップに口をつけた。
 マスターの傷つき続けた八年と、これからぼくが生きていく時間は同じような意味を持つんだろうか?
 それとも、それは同じような種類に見えて、まったく違うことなんだろうか?
 改めて家の中を歩き、部屋をひとつひとつ確認してみた。
 どこもかしこもがらんとした部屋に変わっている。絨毯にそれまで置かれていた家具の跡が残っているだけだ。溜息をついてもそれさえ空虚な空間の中に吸い込まれてしまうようで、音が響くことすらない。
 もうこの家にいることはできない。
 ぼくは引っ越すことを決めた。
 もちろん、この逗子を離れるつもりはなかった。
 けれど、独りで住むのにふさわしい広さの家があるはずだ。それを探して引っ越そう。なんならこの家に残っているモノはすべて捨ててしまってもいい。
 そう決めて、ぼくはまたリビングに戻ると、珈琲を飲み干した。
 ぼくは傷ついているんだろうか?
 それともなにかを失ってしまったんだろうか?
 けれど、いまのぼくに解ることは、口の中に広がる珈琲の苦さだけだった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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