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2013.04.22

海のある街    風の街 1

 どうして逗子なの?
 ぼくが引っ越しを決めたとき、いろいろな人から訊かれた。いや、引っ越しをした後もだ。
 どうして逗子なの?
 元妻にもその理由がわからなかったようだ。いくぶん詰問にも似た口調で訊かれたこともあった。
 そう、どうして逗子を選んだのか、ぼくにもきちんと説明できなかった。
 なぜぼくは逗子を選んだのだろう?
 ぼくは逗子とは縁もゆかりもない。そもそも、はじめて逗子に足を踏み入れたのは二〇〇七年のことだ。
 京都で生まれたぼくはすぐに大阪に引っ越し、さらに幼稚園に上がる前に稲沢に引っ越している。大阪のアパートにいた頃の記憶は微かにあるが、きちんとした記憶として残っている最初のできごとは稲沢で体験した伊勢湾台風だ。ぼくが四歳になる前のこと。
 そこで小学校へ入学したが、四年生になるときに名古屋市へと引っ越しをした。名古屋市内ではさらに二回引っ越しをしているから、引っ越しの数はそうとう多い方だと思う。
 大学へ入学すると東京へと出て、親戚が近くにいるからという理由で新高円寺のアパートを借りて住むようになった。
 さらに、大学五年のとき、というか、二回目の四年生といった方が正しいかもしれないが、西荻窪に引っ越しをした。善福寺公園の近くのアパートだ。
 この引っ越しの前後がちょうど中野の喫茶店に入り浸っていた頃だ。
 それから家族が練馬へ引っ越してきたので、そのアパートを引き払い、富士見台で家族と一緒に住むことになった。
 引っ越しはさらに続く。
 そのあと家族が横浜の綱島へと引っ越しをすることになったので、一緒に引っ越しをしている。父も母もいまはこの家にいる。
 だからぼくの場合は生まれた家ではなく、この家が実家ということになる。ついでだからと本籍もここに移動した。
 その後、結婚を機にぼくは再び西荻窪のマンションを借りた。
 以前にも一度住んだことのある西荻窪だが、ぼくの好きな街のひとつだ。ここならいまでも移り住んでもいいと思っているぐらいだ。
 その後、やはり実家の近くがいいだろうということで綱島に引っ越し、さらに日吉に移り住んだ。一番長く住んだのは日吉のマンションだ。結婚生活の半分以上をここで過ごしている。
 だから逗子に引っ越したいといったとき、元妻がどうしてと問い糾すのも解らないではなかった。長年住み慣れた便利な場所から、見ず知らずの場所へ引っ越すわけだから、疑問に思うのもあたり前だろう。それまでに知り合った人たちと別れることにもなる。
 まるで根無し草のように引っ越しをしてきたぼくに比べて、元妻にはちゃんとした故郷があった。生まれた家がそのまま残り、結婚している間、年に一度は帰省をし、そしてぼくと別れるとその家へと戻っていった。
 そこは彼女にとって大切な場所であり、守るべき家でもあったのだろう。
 そういう意味での故郷を持たないぼくにしてみると、なにが大切でなにを守らなければいけないのか、想像することはできても理解することはできなかった。

※この物語は、私小説と与太話の中間のようなものだと思ってもらいたい。
 実在の人物や、実在のお店などが出てきても、あくまでもフィクションです。

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