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2011.09.16

そんなに単純じゃないよ、ね

 ときおり歩きながらいろいろなことを考えることがある。
 というか歩いているといろいろなことをじっくりと考えることができると言い換えた方がいいかもしれない。哲学の道じゃないけど、歩いていると思索に耽ることができる。以前からなにかを考えたいときは散歩することが多かった。
 いまだと海を散歩できる。
 哲学とまではいかないけれど、ぼくにとっては思索の場所といってもいいかもしれない。

 ぼくの中には、いろいろなぼくがいる。
 ちょっと傲慢なぼくだったり、ちょっと気弱なぼくだったり、あるいは自信満々だったり、へたれていたり、強がっていたり、凹んでいたり。それでもそのすべてがぼくだ。
 そのときによって、あるいは相手によって、さまざまなぼくになる。もちろんそんなに単純な話ではない。いろいろなぼくが混ざり合ってそのときのぼくになっている。
 人ってそういう複雑なところがある。ひと言で人を説明することも、理解することもできるはずがない。
 あたりまえの話だ。

 でもblog だったりあるいは Twitter だったりメールにしてもしかりなんだが、ネットを通して見たり読んだりするものはとても単純化されすぎているような気がしてならない。ブロガーといわれている人たちを含めて、情報を発信しようとしている人たちが自らの意見を広く伝えるために、ものごとをわかりやすく、シンプルに表現するようになっている。
 表面的というよりは、むしろ好意的な側面がたぶんにあるのかもしれない。

 けれど人はもちろん事象を含めて世界はとても複雑だ。
 なのにマスコミを含めたあらゆる情報がとても単純化されすぎているような気がしてならない。
 オッカムの剃刀のとおり、ものごとをすべてわざと複雑に考える必要はないかもしれない。しかし、たとえば独りの人間が抱える思いでさえも、複雑でわかりにくく、ときには本人にすら理解することができないような深さをも伴っていることがある。

 事象をひとことで言い表すことの危険さをぼくらは改めて再認識すべきなのかもしれない。
 くしくも、今日読んだ内田樹の blog では「情報リテラシー」について書かれていた。そして、日経ビジネスオンラインでは小田嶋隆がメタ情報について言及している。こういうシンクロニシティには意味がある、とぼくは思っている。

 ときには頭を捻らないと理解できない文章を読んで、すくない脳みそを振り絞ることも必要だ。
 それは情報リテラシーということだけでなく、ものごとを可能な限りきちんと理解するためにも、そしてこの世の事象を把握するためにも、そして自分がなにものなのかをなんとなくわかるためにも、頭は使えるときに使えるように、つねにアイドリングしておく必要がある。
 まぁ、おおよそ考えられるすべのものは、そんなに単純ではないということを前提にしておけば、間違いはないだろう。

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