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2011.09.30

モノの価値という側面

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 波打ち際を歩いていて硬貨を拾った。
 最初はなんなのかよくわからなかったが、銅色をしている金属の丸いモノを見つけたので、そのまま手を伸ばして拾った。
 以前にも砂浜で一円玉を拾ったことがあったが、しかし今度は色が違う。
 それでもあまりにも汚くていったいなんなのかよくわからなかったが、よくよく見てみるとそこに「100」という数字が刻み込まれていた。百円玉だ。
 まさかとは思ったけど、この銅色をしている硬貨は「百円玉」。

 その見てくれと実際の価値に差がある。
 このままで使用できるのかどうかははなはだ疑問だけど、しかし確かにこの硬貨は「百円」の価値があるはずだ。なんだかいまの自分を見ているようで、すこし哀しくなってきてしまった。
 自分自身の価値をどう観るのかはひとによって違うだろう。それでも、いまの自分がそのまま正当に評価されているとはどう考えても思えない。いや、評価してもらうことができないというよりは、価値を見いだしてもらっていないといった方が正しいか。どこかの組織に属して、そこで不当に評価されているわけではないからね。

 いままでいろいろと仕事をしてきて、しかし、いまのぼくのなにかにそれが活きているとは思えないということもある。
 それはそのまま自分に跳ね返ってくることだ。
 自分で自分を正当に評価できていないからなのかもしれない。
 それでも自分の価値ということを、いまの状況と合わせて考えてみると、いろいろな意味で絶望的になってしまう。

 とはいえ、自分で設定したタイムリミットがもう来ている。
 どうやら決断しなければいけないようだ。
 それがどんな決断になるのか、それについては改めて書くことになるだろう。それもきわめて近い時期に。

 しかし、この百円はどうしようか。
 自分の分身みたいな気がしているんだが、どういう扱いをしてあげればいいのか、ちょっと考えあぐねてしまう。
 まるで、いまのぼくが置かれている立場のように。
 ふむ、そういう意味でも分身なのかもしれないね。やれやれ。

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