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2011.07.27

帰るところ、ではなく

 昨日もちょっと書いたが、奥さんの生まれ育った家はちゃんとあって、そこへは毎年帰省している。
 彼女の部屋も残っていて、どこからか引っ張り出してくれば思い出の品なんかも出てくるはずだ。子どもの頃に使っていたピアノも健在で、帰るといまは娘が弾いたりする。
 で、ぼくはというと、実家はもちろんあるけど、そこはぼくが生まれ育ったところではない。
 ぼくが生まれた家は京都にあって、そこへはいま叔父が住んでいる。育ったところはバラバラ。まず大阪に引越し、そこから稲沢へ移り、そして名古屋へ。名古屋では二度引越しをしている。そして、東京へ出てきたというわけだ。

 単純に引越しの回数を数えると何回になるだろう?
 高校を卒業するまでに五回、そのあと結婚するまでに四回、結婚してから三回も引越しをしている。
 根無し草の見本のようだ。
 だから、どこかに腰を落ち着けたという印象はゼロ。

 そのためだろうか? ぼくは帰りたいと思ったことがない。
 立志伝によくあるような、志し為らずば田舎に帰るみたいな発想がないのだ。ないというよりも、できないと言った方がいいだろう。だって、帰るところがないわけだから。

 それがいいことなのか、あるいはそうではないのか。それは、まだぼくにはわからない。ただ、わかっていることは、ぼくが求めているのはまだ行ったことはないけどしかしぼくがいるべき場所かもしれないということだ。
 もしかしたら、それはいまいる海がある街なのかもしれない。
 ここがその場所だと、あるいは違う場所だとわかるのはいつのことなのか。帰るのではなく、いるべき場所をいつまでも探すことになるのかもしない。
 ただ、いまはここで納得していることは確かなんだけどね。

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