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2011.07.26

海がある街で

 とりあえず、いままでは住んでいる街に根付くつもりがなかった。
 というか、正確にいうとその街に根付くということがどういうことになのか、よくわかっていなかったといってもいいかもしれない。
 子どもの頃から何度か引越しをしていて、それまでの友だち付き合いみたいなものが、その都度、分断されてきたからかもしれない。いわゆる幼馴染なんて存在はぼくにはない。
 引っ越すたびに、友人関係をゼロから築いてきたといっていいだろう。だから特定の人と深く繋がるということもあまり得意ではない。
 それはいまでもそうだ。
 生まれた家がそのままあってお盆の度に帰省できる奥さんとは、まったく違う環境で育ったといっていいだろう。

 だから懐かしい場所なんてものがほとんどない。せいぜい通った学校ぐらいだろう。でも遠く離れてしまい、わざわざそこまで行って懐かしみたいという気にもなれない。友だちと遊んだ公園なんかもあるにはあるんだろうが、そこで遊んだ友だちの記憶も薄れはじめている。
 だからだと思うが、地元意識みたいなものは皆無に等しく、住んでいる場所の繋がりで誰かと知り合うということもほとんどない。大学から東京へ出て来ているけど、お隣さんと知り合いになるなんてこともなかった。
 別段それで困ることもなかったし、不便を感じたこともなかった。
 むしろそれがあたりまえのことだと思ってた。

 けど、いまはちょっとだけ違っている。
 なぜだろう、それはよくわからない。
 毎朝、浜辺を散歩しているけど、そこですれ違ういつものと人たちとはいい関係でいたいと思うようになっている。実際、海を通じて知り合った人たちもいる。
 浜辺で会えば挨拶もするし話もする。
 今朝も海の家の入り口に座り込んでいろいろと話をしてしまった。
 そんな関係を持てることがなんだかすこしだけ嬉しい。
 こんな気持ちはいままでに抱いたことがない。正直ちょっと戸惑っているけど、はじめての感情だといってもいいだろう。
 それはここが逗子だからなんだろうか? それとも知らない間にぼくの中でなにかが変化したからなんだろうか? こんな感情が湧きあがるのは、まったく見ず知らずのこの海がある街に引っ越しをしたいと思ったことと繋がりがあるのかもしれない。

 それはともかく、人との繋がりができることが嬉しく思えることは、自分にとっていい変化なんだろう。
 こういった変化を積み重ねているぼくの明日はどんな日になるんだろう? いい意味で興味がある。毎日を特別な今日にすることができるようになるといいんだが。

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