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2011年7月

2011.07.29

ついうっかり

 以前にも書いたと思うけど、外出先から帰るたびに鞄の中から入っているものをすべて出して、また出かけるときに必要なものを入れるようにしている。
 そのときそのときで確認しながら用意できるので、忘れものもしない、と書いた記憶がある。
 が、なにごとにも例外はあるもので、ついうっかりということは、やはり起きてしまう。

 考えごとをしながら用意をしたり、他にもやらなきゃいけないことがあってそれも一緒にやろうとして、ついうっかりしてしまう。注意力散漫なときこそ気をつけるべきなんだが、あたりまえだけど、そんなときはそこまで気が回らない。
 だから、ついうっかりなんだけどね。

 まぁ、なにをどう言い訳しても、いまさら家に戻れるわけでもなく、諦めるしかない。それは重々承知しているんだが、確認し忘れたことが、ちょっとだけ悔しい。
 どうしても必要なものだけはちゃんと確認したんだけどなあ。
 しかし、電車に乗ってから気がつくというのもなぁ。いったいなにをやっているんだか。

 まぁ、いまさらなにをどう考えても時間が戻るわけでもないしなぁ。ふむ。
 財布忘れた……。

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2011.07.28

磯の住人

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やっぱりテレビだったりする

 くだらないとか、見たい番組がないとか、まぁ、いろいろと言いたいことはあるけど、それでもそれぞれの曜日はテレビの番組とぼく中では繋がっている。
 たとえば月曜日はクリミナル・マインドや Castle だし、火曜日はついこの前まではモンクで今週からは TheEvent で、水曜日はメンタリスト、木曜日は NCIS といった具合だ。
 ただし、テレビとはいっても地上波の番組はひとつもない。
 地上波の番組で見てもいいと思えるものはとても数が少ない。 N 響アワーにあとはなんだろう、いわゆるバラエティで見るとしたらビフォーアフターぐらいなものだろうか。
 いまは夜更かししなくなったので、タモリ倶楽部も見なくなっちゃったしなぁ。

 あとはこれといって決まった番組を見ることはほとんどない。
 基本的に海外のドラマは見る気が起きるけど、日本のドラマはよほどでなければ触手が伸びず、バラエティにいたってはまず見る気が起きないということだ。
 コンテンツに対する考え方がアメリカと日本じゃ、次元が違うといってもいいだろう。
 アメリカではコンテンツを制作する会社が力を持っている。
 良質なコンテンツを制作して、それを配信会社へ提供する。もちろんその金額は半端なものじゃないだろう。しかも、DVD などの二次利用を含めた権利をしっかりと保有している。
 だから映画に、といってもハリウッドの予算規模だよ、匹敵するような制作体制でコンテンツを作ることができるというわけだ。

 制作する会社と配信する会社。
 役割の違いがあるから、そこはしっかりと分けて物事を考える。とても合理的だと思う。
 ひとつの会社がなにからなにまで牛耳って、実際に制作するサイドには微々たるお金しか流れない日本とは大違い。だからぼくが見たいと思えるようなコンテンツが作れないということだろう。

 それはともかく、この役割を分けるという考え方はとても大切だと思う。
 作る側はその内容を競い合い、放送する側はそれぞれ配信の方法で競い合う。内容も価格も切磋琢磨できるのはいいことだ。もちろんコンテンツを楽しむぼくにとっても。
 ということで、テレビはやはりそれなりに楽しめるメディアだとは思う。もっとも海外のコンテンツだからということになっちゃうけどね。
 そういう意味でも、やっぱりテレビなのかもね。

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2011.07.27

寄せるさざ波

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帰るところ、ではなく

 昨日もちょっと書いたが、奥さんの生まれ育った家はちゃんとあって、そこへは毎年帰省している。
 彼女の部屋も残っていて、どこからか引っ張り出してくれば思い出の品なんかも出てくるはずだ。子どもの頃に使っていたピアノも健在で、帰るといまは娘が弾いたりする。
 で、ぼくはというと、実家はもちろんあるけど、そこはぼくが生まれ育ったところではない。
 ぼくが生まれた家は京都にあって、そこへはいま叔父が住んでいる。育ったところはバラバラ。まず大阪に引越し、そこから稲沢へ移り、そして名古屋へ。名古屋では二度引越しをしている。そして、東京へ出てきたというわけだ。

 単純に引越しの回数を数えると何回になるだろう?
 高校を卒業するまでに五回、そのあと結婚するまでに四回、結婚してから三回も引越しをしている。
 根無し草の見本のようだ。
 だから、どこかに腰を落ち着けたという印象はゼロ。

 そのためだろうか? ぼくは帰りたいと思ったことがない。
 立志伝によくあるような、志し為らずば田舎に帰るみたいな発想がないのだ。ないというよりも、できないと言った方がいいだろう。だって、帰るところがないわけだから。

 それがいいことなのか、あるいはそうではないのか。それは、まだぼくにはわからない。ただ、わかっていることは、ぼくが求めているのはまだ行ったことはないけどしかしぼくがいるべき場所かもしれないということだ。
 もしかしたら、それはいまいる海がある街なのかもしれない。
 ここがその場所だと、あるいは違う場所だとわかるのはいつのことなのか。帰るのではなく、いるべき場所をいつまでも探すことになるのかもしない。
 ただ、いまはここで納得していることは確かなんだけどね。

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2011.07.26

霞む富士

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海がある街で

 とりあえず、いままでは住んでいる街に根付くつもりがなかった。
 というか、正確にいうとその街に根付くということがどういうことになのか、よくわかっていなかったといってもいいかもしれない。
 子どもの頃から何度か引越しをしていて、それまでの友だち付き合いみたいなものが、その都度、分断されてきたからかもしれない。いわゆる幼馴染なんて存在はぼくにはない。
 引っ越すたびに、友人関係をゼロから築いてきたといっていいだろう。だから特定の人と深く繋がるということもあまり得意ではない。
 それはいまでもそうだ。
 生まれた家がそのままあってお盆の度に帰省できる奥さんとは、まったく違う環境で育ったといっていいだろう。

 だから懐かしい場所なんてものがほとんどない。せいぜい通った学校ぐらいだろう。でも遠く離れてしまい、わざわざそこまで行って懐かしみたいという気にもなれない。友だちと遊んだ公園なんかもあるにはあるんだろうが、そこで遊んだ友だちの記憶も薄れはじめている。
 だからだと思うが、地元意識みたいなものは皆無に等しく、住んでいる場所の繋がりで誰かと知り合うということもほとんどない。大学から東京へ出て来ているけど、お隣さんと知り合いになるなんてこともなかった。
 別段それで困ることもなかったし、不便を感じたこともなかった。
 むしろそれがあたりまえのことだと思ってた。

 けど、いまはちょっとだけ違っている。
 なぜだろう、それはよくわからない。
 毎朝、浜辺を散歩しているけど、そこですれ違ういつものと人たちとはいい関係でいたいと思うようになっている。実際、海を通じて知り合った人たちもいる。
 浜辺で会えば挨拶もするし話もする。
 今朝も海の家の入り口に座り込んでいろいろと話をしてしまった。
 そんな関係を持てることがなんだかすこしだけ嬉しい。
 こんな気持ちはいままでに抱いたことがない。正直ちょっと戸惑っているけど、はじめての感情だといってもいいだろう。
 それはここが逗子だからなんだろうか? それとも知らない間にぼくの中でなにかが変化したからなんだろうか? こんな感情が湧きあがるのは、まったく見ず知らずのこの海がある街に引っ越しをしたいと思ったことと繋がりがあるのかもしれない。

 それはともかく、人との繋がりができることが嬉しく思えることは、自分にとっていい変化なんだろう。
 こういった変化を積み重ねているぼくの明日はどんな日になるんだろう? いい意味で興味がある。毎日を特別な今日にすることができるようになるといいんだが。

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2011.07.25

晴れ間の向こう

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ありがとう

 実はぐだぐだと駄文を書いていたのだが、あまりにもバカらしくなって止めてしまった。
 なにについてかというと、テレビについて。いかにくだらないかを書いていたけど、その内容がテレビに勝るとも劣らずくだらないものになりそうだったので止めた。
 もはや書くまでもない、ということなのかもしれない。ふむ。

 ということで書くことがなくなっちゃったので、ちょっと別のことを。
 いや、まぁ、実は今日はじめて気がついたんだが、リンクシェアの振り込みがあったのだ。たいした金額じゃない。というか、そもそも人様に言えるような金額じゃないんだけどね。でも、はじめてのことだったりするのだ。
 よく考えみればあまり気にしてなかったしなぁ。アフィリエイトなんてね。
 でも、ちょっぴり嬉しい。

 ぼくの blog からモノを、というか、アプリを買ってくれた人がいたということだ。
 その人たちに感謝を。
 もしかしたら「My Railway」のおかげかもしれない。
 ともかく、ありがとう。
 これからはもうちょっとまじめに書くことにしようかな。

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2011.07.22

透きとおる海

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やっぱり流されているのかも

 毎日を特別な今日にしよう、と思ってはいるんだが、これがなかなか難しい。だいたい曜日によってやることが決まっているから、ということがある。
 その日の行動パターンが曜日で決まってしまうのだ。平日は同じような時間に起きて、海に散歩に出かけ、食事を摂ると、同じような時間の電車に乗って出かける。判で押したようという表現があるけど、まさにその見本のような毎日。おまけに出すゴミの種類も曜日で決まってるからなぁ。

 じゃ、土日はどうかというと、平日よりもちょっとだけ遅い朝だけど、海に散歩に出かけるのは平日と同じ。食事を済ませて、雑用や仕事をちょっと片づけると、海へ泳ぎに行く。で、午後はのんびりと仕事の続き。これまた判で押したよう。
 この繰り返しがこのところ続いている。

 ほんとうは、同じパターンであっても、その日が特別な日になるように意識して過ごすべきなんだろうが、やはりいつものような日を送る方が気が楽なようで、ついつい流されてしまう。
 怠け者のつもりはなくても、よくよく考えてみると、だらだらと時間を無駄にしている。どんな言い訳をしても怠け者でしかないよなぁ。
 特別なイベントを設けることもなく、いつもと同じような日を過ごしているのに、その日を特別な今日にする。  できそうでてきないんだが、まだまだ修行が足りないということなんだろうなぁ。

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2011.07.21

それでいままでの iPhone は

 ところで、アプリのことはいいとして、いままで使っていた iPhone をどうするのか、ということが次の課題となる。
 なんてちょっと大袈裟かもしれないけど、そのまま机の引き出しにというわけにもいかない。じゃ、なにかに使えるのかというと、回線が切れている、しかも世代の旧い iPhone だから持って歩くということは考えにくい。ゲームマシンにしてもいいんだが、パワーという点でははっきりいって見劣りするし、中には動かないアプリもある。

 となると、iPod として使えばどうかということになるけど、しかしぼくの iTunes のデータは 50GB を遥かに超えていて、プレイリストをいくつか入れたらそれ以上入らない、というのではいかにも中途半端。
 老兵は消え去るのみ、ということであきらめてしまうのもいかにも安易だしなぁ。
 真剣に老後のことを考えてやりたいんだが、さてどうしたものか。
 どうも簡単に思いつけるようなことではなさそうだなぁ。ふむ。

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2011.07.20

テイクオフ

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とりあえず iPhone 4 だけど

 先週末から iPhone 4 を使っている。まぁ、ちょっとした家庭内事情もあって、そういうことになったんだが、どうしてそういうことになったのかを説明するのは面倒なのでそれはまた別の機会に。

 iPhone 4 だからということもあるんだが、この際だからということで iOS 5 にしている。せっかくだからまだ公開されていない OS でアプリの動作チェックもしてしまおうという魂胆だ。これでもアプリの開発者の端くれなのでね。
 画面のクリアな明るさにはすぐ慣れたが、問題はどのアプリをインストールするかということだ。いままで使っていたアプリをメインに、まず入れておいてもいいだろうと思えるものをインストール。そうしたらとんでもない数のアプリになってしまった。
 それを月曜日には整理して、と考えていたのだが甘かった。画面の構成なんかを考えながらはじめたものだから意外に時間がかかってしまったのだ。
 結局、一応これでいいかと落ち着いたのが昨日の夜。これからあれこれ使いながらどのアプリを入れておくのか決めていくつもりだ。

 それはともかく今回整理してみて気がついたことがある。それは普段使っているアプリって意外に少ないこと。極端なことをいったらデフォルトのアプリの他には、こうしてなにかあればメモを書く Simplenote と、ちょっとしたゲームぐらい。あとは Twitter とか、Read it later とか、そんなものだろうか。
 特に、いまは拠のない事情で昼間はほとんど缶詰状態ということもある。そんなに長い時間 iPhone に触れられないのだから、そうなるのも至極まっとうなことなのかもしれない。

 でも、よくよく考えてみると、それがごくあたりまえのことなのかもしれない。仕事によっては好きなときに iPhone に触れるわけにもいかないということもあるだろう。だとしたら、そういう使い方を前提にこれからアプリのことを考えるべきなのかもしれない。
 いずれにしてもどのアプリを使うのかなんて、そのときの状況や事情によっても変わるからなぁ。
 いま、すべてを決めることはないとは思う。
 いまの生活パターンがそのまま延々と続くわけでもないし、しばらくはテストも含めていろいろな使い方をしてみてそれからということになるんだろう。ああ、あと iPad との使い分けも、いままでとはまた違うモノになるかもしれないしなぁ。
 最低限の数のアプリから必要なものを増やしていくことにしてみよう。
 もうひとつ驚いたことは、まったくといっていいほど使ったことのないアプリがインストールされていたこともあるしね。

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2011.07.19

荒い波

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2011.07.18

碧い波

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暑い……

 実は、平日の昼間、外出しているため、あまり感じていなかったのだが、暑い。
 夜は、それなりに風が吹き抜けているので、寝苦しさをほとんど感じていなかったのだが、暑い。
 昨日、一昨日とこの週末は机に向かっていたんだが、じっとりと汗をかき、しかもその汗のせいで机が濡れてしまい、さらにその濡れた部分に腕がどうしても触れてしまうので、とても不快なのだ。
 やりたかったことが、ヘニャヘニャと全身から流れ出してしまったように、もうなにもしたくなくなってしまった。

 そこへ持ってきて、午前中は海で惚けていたので、流れ出てしまったやる気を掻き立てることもできず、だらだらと過ごしてしまった。
 まぁ、この暑さだから仕方ないといえばそれまでだけど、じゃ、エアコンをつけてバリバリ仕事したいかと問われると、素直に首を立てには振れないものなぁ。
 夏だから、多少ダラダラしてもいいのではないかとも思うのだが、そもそもこうやってなにかを考えるのも億劫だったりするんだよなぁ。
 夏だから、ということで勘弁してもらうかなぁ。
 って、誰かに許可得ればいいってもんでもないしなぁ。
 いかん、考えがまとまらない。これも暑さのせいということで。やれやれ。

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2011.07.17

海で泳ぐ

 海が泳ぐところだということを、いままで意識したことはなかった。
 どちらかというと砂浜でのんびりと陽を浴びて、ちょっと潜って遊ぶぐらいがせいぜいといったところだろうか。
 それは海の近くで育っていないということがあるかもしれない。あるいは水泳というスポーツをぼく自身がそんなに意識していなかったせいなのかもしれない。

 もともと泳ぐことがそんなに好きではなかったし、得意でもなかった。
 高校の頃は、クロールで泳ぐと 20m を過ぎる頃にはほぼ水没していて、なんとか 25m 先に到達はするものの泳いでいるんだかおぼれているんだかわからないような状態だった。そんなわけでまともにクロールが泳げるようになったのは、かなり歳をとってからのことだ。
 だから海が泳ぐ場所だという意識はまったくなかった。逗子に引っ越しをするまでは。いや、逗子に引っ越したときも、まさか海で泳ぐようになるとは想像もしていなかった。
 しかし、プール通いがなんとかあたりまえのことになっていたぼくが、目の前に広がっている海をプール代わりに泳ぐ場所として選んだのは、別段不思議なことではないのかもしれない。なにしろそこには泳げる場所があって、しかもいろいろな人たちが実際に泳いでいるからだ。

 でも塩水はプールの水とは違う。コンディションだってまったく違う。
 海で泳ぎはじめたときに気になったのは海水の塩辛さ。のどの奥で感じる海水の塩辛さは特別だ。
 そして、やっぱり波だろう。
 プールには大きな流れはないし、まさか泳いでいる最中に波に弄ばれたり上下動することもない。しかし海ではそうはいかない。上下動だけでなく、巻かれたり、流されたり。そのうえで動作が加わるので、なんだか意識していない姿勢になりそうになったりと、ともかく姿勢を保つことが難しい。
 けれど馴れるに従って、少しずつだが、ぼく自身の受け取り方が変わってきた。

 塩辛さについてはどうしようもないのであきらめているが、波で弄ばれることがおもしろくなってきている。
 今日は台風の影響がありちょっとうねりが入っていて、サーフィンするには最適な波が立っていた。波によって身体が上下動するだけでなく巻かれたりして、海中での姿勢がいろいろと変わってしまう。それも海任せ。
 いままでならなんとか姿勢を保とうと力んでしまっていたのだが、このところ自分がどんな状態になろうと、その状態を楽しもうという気になってきているのだ。
 大きな波で身体が持ち上げられそうになったり、下半身だけが浮き気味になったり、あるいは身体が回転しそうになったり、いろいろなことが水中では起こる。無理にコントロールできないなら、いっそ身を任せてしまえばいいじゃないかという気持ちになっている。
 そうやって身を任せてみると逆に力むことなく必要最小限の動きで、その状態に合わせることができるようになる。この合わせるという感覚がとても楽しいのだ。

 こうなると泳ぐこと自体がとても楽しみになる。
 まだそんなに距離をおよぐことはできないけど、波に弄ばれることになれてきたので、これからは距離を意識して泳ぐようにしてみるつもりだ。
 とはいっても別に遠泳したいわけじゃないんだけどね。
 海で楽しく泳げれば、いまはそれが一番だから。

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2011.07.15

MOLESKINE

 MOLESKINE を使いだしたのは、去年のはじめのことだったような気がしているんだが、もしかしたら多少ずれているかもしれない。
 ともかく、はじめての MOLESKINE 。それまでリフィルタイプのメモをメインで使っていたので、一冊に綴じられたメモを使うのは、さて、いつ以来なのか記憶にないぐらい久しぶりなことだけは確実だ。

 ちょっと小振りなノートをどうやって使えばいいのか、とりあえずいままでなんでも、と書いて考えてみたけど、確かにどんなことでもリフィルには書いていたので「なんでも」でいいのかもしれないんだが、頭に浮かんだことや、打ち合わせの内容、本を読んで気になったフレーズなど、思いつく限り書けることは、メモしてきた。
 それがもうあと数ページで終わろうとしている。

 そうか、もう一冊終わるのかと、いままで書いてきたページを繰って、過去に書いたことをパラパラと読み返してみた。まあ、よくもこんなになんの脈略もない、断片的なことでページを埋めたものだと、若干呆れてしまうような一冊になっていた。
 で、次は……というところで、手が止まった。
 また、MOLESKINE でいいんだろうか?
 書き終えた MOLESKINE をストックして、また新しい MOLESKINE を同じように使うことでいいんだろうか?
 そんな、とても素朴な疑問が湧き上がってきたのだ。

 断捨離的な考えでいけば、書き終えたノートは「捨」すべきもののように思えるのだ。
 が一方、いままで確かに愚にもつかないようなくだらないことで埋め尽くされていようと、もしかしたらこれからなにかの役立つことが、いやそこまではいかなくても、なんらかのヒントや手掛かりになるのではないかと思うと、正直もったいない気はする。
 断捨離なのか、それとも、いままで考えてきた足跡として価値のあるものなのか。
 思いきるのがちょっと難しい。ふむ。

 それはともかく、次はどんなノートにしようか?

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2011.07.14

波の模様

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手間かもしれないけど

 平日は、同じような時間に同じ場所に出かける。やることも同じなので、あたりまえの話だが、同じものを鞄に入れて出かける。
 ちょっと草臥れかけている Tumi のバッグに必要なものを、入れっぱなしするのではなく、出かける前にひとつひとつ確認をしながら入れるようにしている。
 以前は、出かけるときには必要な小物なんかは入れっぱなしにしておき、連日同じ場所へ同じ要件で出かけるときは、いちいち鞄からものを出すことなく、必要なもなのがあれば追加して出かけていた。

 それが、いつからか帰ると鞄の中にあるものはすべて出して、整理をしてから鞄自体も適当な場所へ置きっぱなしにするのではなくその都度しまうようにしている。
 だからなにか変わったのかといわれると、特になにかあるわけじゃない。ただ忘れ物は減った、というかほとんどなくなったといっていいだろう。空っぽのカバンにその都度必要なものを入れていくのだから、忘れようがないといえば、それまでだ。
 それが入れっぱなしになっていると、あれは入っているはずだよなと確認もしないから、肝心なものを忘れることになる。

 と書いて、なんだかなにかに似ていることに気がついた。
 空っぽにして、整理する。そう、GTD だ。
 頭にあることをリスト化することにも、意味はあるんだが、もうひとつ大きな意味があることが、すべてを書き出して頭の中を空っぽにするということだ。

 混乱してなにから手を付けるべきなのかわからなくなったり、時間に追い詰められパニック状態に陥り、手当たり次第に手をつけようとして逆に時間の無駄遣いをしてしまうことになる。
 それを改善する方法のひとつが、頭が空っぽになるまですべてをリスト化して、そのリストを粛々とこなしていくというやり方だ。
 合理的だ。
 図らずも、GTD を試してみる前に、鞄に入れるモノで同じ考え方を実行していたんだなぁ。って、なに、実は佐藤可士和の「超整理術」の影響もあったんだけどね。
 なるほどその都度、きちんと確認するようにすれば、鞄に入れるモノも頭にあるモノも忘れ物をすることはないということなのかもしれない。

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2011.07.13

朝日を浴びて

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どうしてだろうね

 梅雨が開けたのが、先週の土曜日。それから連日、暑い日が続いている。
 昼は某所にこもっている、というか、身動きが取れないというのが正直なところだが、冷房が、節電しているんだがとりあえず効いているので、あまり暑さを意識することはないが、毎朝、青い空と碧い海が広がる海岸を散歩しているので、夏の到来はきちんと実感している。

 でも、波打ち際を散歩していて、ふと思うのだが、どうして逗子に引っ越したのか、どうして海のある街に引っ越すことにしたのか、いまだによくわからない。
 どうしてそんな気になったんだろう?

 夏と海が直結していたのは、せいぜい大学の頃か卒業して数年のことだ。仕事が忙しくなったら、季節はぼくとは直接関わりを持たなくなってしまった。夏だからとか、冬だからなにかをしたくなるということもない。季節と密接に関わるようななにかをしていたわけでも、したくなるわけでもなかった。

 そんなぼくが、いきなり逗子だ。
 たぶんぼく以上に家族が戸惑っただろう。いや、いまでも引っ越したことについて、なにやら異論を唱えられることがある。どうして引っ越したのか、と。

 それまでマリンスポーツのひとつにでも手も出していればまだしも、いきなり逗子だからなぁ。
 子どもの頃に近くに住んでいたとかなにかあれば話は別だろうが、京都で生まれて、名古屋で育って、大学からは東京で、結婚して横浜に移ったわけで、逗子はおろか、海とは縁もゆかりもないわけだからね。
 奥さんだって、岡山の山の方で育ったわけだから、夫婦揃って海とは直接関係ないからなぁ。

 なんだって逗子なのか。
 それでも毎日波打ち際を散歩して、海のある街での生活は満喫しているから、そんなことはどうだってよくて、いまが充実しているならなんでも OK ということではあるんだけどね。
 なんだかそういうおおざっぱな考え方だけは、サーファーみたいな感じになってきちゃったなぁ。
 いい波が来てればそれでいいじゃないか、とね。
 実際、それでいいんだけど。

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2011.07.12

透きとおる海

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平行線

 言い争いとはいわないが、議論ともいえない、まぁ他愛のない言い合いということにしておこう、それがこの前から続いている。
 だいたい、こういう場合、奥さんの言がそのまま通ることがほとんどだ。
 なぜだろう、いつの間にかこういう力関係になってしまっている。もちろん、彼女に訊いても、そういう力関係になっていることを公に認めることはない。けど、旦那の存在感とでもいうのだろうか、家庭内における立場なんて、実に低いものだ。なぜなら、女性は結託するのに長けている。自らの立場を際立たせるため、ではなく、家庭内における旦那のポジションをコントロールするためなら、娘はおろか、義母はおろか、義妹とはもちろんのこと、ことと次第によっては息子にまでその奸計の手は伸びる。
 かくして旦那は外で働いている間に、奥さんが作り上げた謀略の罠にすっぽりと嵌ってしまうことになる。

 ともかく話をしているんだが、さっぱり埒があかない。
 話が噛み合わない場合は、そもそも違うポイントについて互いに主張していることが多いので、整理すれば落としどころというやつを見つけることができる。もしくは軌道修正している間に、気がついたりして話を合わせることができる。
 今回の場合は、平行線だ。

 これは、噛み合わない場合よりもややこしいことが多い。どこかで交じり合うという展望が持てないからだ。
 互いの主張が等間隔のままどこまでいっても近づく素振りをみせない。そのまま同じ話が延々と続いていく。だって平行線だから。その間、ただ時が過ぎていく。歩み寄ろうにも、肝心なところで相入れないわけだから、微塵もその間隔に変化はない。
 まるで、平行線の見本のような互いの距離感。永遠に交わらないふたつの線。
 どちらかが折れなければ、交わることはないんだが、さてやはり家庭内の力関係が示すような結果になってしまうんだろうか? ふむ……。

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2011.07.11

碧い海と富士

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2011.07.10

ときにはこんな日曜日

 昨日、梅雨が明けたらしい。
 確か、週間予報では曇りマークが続いていたはずだったけど、今朝起きてみたら快晴。なるほど、梅雨が明けたというのはガセではなかったようだ。ただ、昨日の夜は遅くまで、というか、日付が変わってしぱらく経つまで起きていて、あれこれ作業をしていたので、いつものような時間に起きるというわけにはいかなかった。
 それでも、まだ朝早めといっても通用する時間に起きる。
 天気がいいと布団の中にいつまでもいるということができないんだよね、不思議なことに。

 まず海まで散歩。いつものように写真を撮ると、帰宅してから Web サイトの更新。
 それから朝食。その後は仕事を。
 といってもそんなにヘビーな内容ではなく、昨日あれこれやっていたことをフィニッシュするだけといった内容。

 予定通り片付けると、海へ行き、いつものように泳いで陽射しをたっぷりと浴びて帰宅。先週、それなりに灼けたはずなのに、また日灼けしてしまった。ふむ。

 昼食後、なでしこジャパンの試合を録画中継で見る。
 あのドイツを延長の末に 1-0 で撃破。確かに、後半から延長にかけて疲労からかつまらないミスが続いたけど、澤からのスルーパスを丸山がゴールラインギリギリのきわどい位置からシュートを蹴り込み、ワンチャンスを見事に活かした勝利。
 いいシュートだった。
 いい勝利だった。
 ひとつ、歴史が作られた価値ある勝利だ。

 それからお仕事。
 Toodledo でリストを整理したおかげか、とりあえずやりたいことがすっきりとわかるようになり、仕事に集中できるようになった。って、まだ一日経過しただけなんだけど、これはいいかもしれないなぁ。

 夜は、これまたいつものような夜を。
 まだ課題がいくつか残っていて、新しい仕事について需要はあるのはわかっているけど、その需要にどうやって届ければいいのか、その糸口がまだ掴めてはいない。
 単にチラシを配布するだけなのか、それも業者に頼めばいいのか、あるいは自ら汗を流すべきなのか、新聞の折り込みを利用すべきなのか。自分でやってみないときっと答えは見つからないんだと思う。
 それはわかっているけど、まずなににチャレンジすべきなのか?
 答えを見つけるには、ちょっとだけ時間が必要なのかもしれない。

 ある時期がきたら、こういうことをすべてオープンにして blog に書いていこうと思う。
 それはそれでひとつの思考の軌跡ということになるはず。
 それが経験になるんだろうし、その積み重ねが財産になる。

 さてと、ちょっとだけ早めに寝るかな。って、もういい時間になっちゃってるんだけどね。

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2011.07.09

Toodledo

 まぁ、偉そうに GTD でございます、などとは口が裂けても言えないような毎日を過ごしているんだが、それでもやはりリストがないと頭の整理ができないことは確かだ。
 よくいままで混乱していなかったものだとは思うんだが、よくよく考えてみればこんがらがっていたことすらわかっていなかっただけなのかもしれない。それで、なんとなくそのとき頭に浮かんだことから片付けていたということだったのだろう。
 よくやってきたものだ。

 それはともかく、とりあえず一度はきちんと脳みそを絞りに絞ってリストを作った。
 それもただ紙に書き出すだけでなく、check*pad.jp を利用して、それなりに整理できたつもりだった。
 このところよんどころのない仕事で平日が忙しいということもあって、なんとなくやりたい仕事は土日に偏ることになっている。それはいい。あらかじめ予定していたことだ。
 ところが、今日発覚したのだが、実はなにから手をつけていいのか、まったくといっていいほど整理できていなかったのだ。おかけで午前中、なにもできずに惚けてしまった。
 リストを作ったはずなのに、だ。
 そう、check*pad.jp に書き出した仕事のリストは、実はリストとして機能していないというわけだ。
 目標なり自分なりに考えていることを整理するためのリストなら check*pad.jp で OK。それをさらに整理して、実は Simplenote に書き出して、iPhone でも、iPad でも、Web でも好きなときに閲覧できるようにしている。それはいい。
 しかし、仕事のリストとなると話は別だった。
 そう、それにはスケジュールが必要だったのだ。

 優先順位的なことならリストの順番でなんとかなる。けれどスケジュールとなるとお手上げ。
 だからといって、適当なツールがないから仕事の管理ができませんでは、本末転倒だ。どういう形でもいいから頭を整理して、やりたいことを、ただやりたい順番ではなく、きちんとしたスケジュールで並べて、気持ちよく片付けていきたい。
 さて、どうしたものか、と思っていたら、シゴタノ! に載っていたエントリーを思い出した。
 ちょうど関連している記事がそのまま Read it later に残っていた。

 ということで、Toodledo にチャレンジすることにしてみた。
 セットアップ編とワークフロー構築編を参考に、自分なりに folder と context をインデックス化していくつかリストを作ってみた。なるほどこれはいいかもしれない。
 実は今月でよんどころのない仕事が終わり、そのあとはかなりスケジュール管理に気を遣うことになりそうなので、ちょうどいいツールに出会えたようだ。

 詳細はまた時間があるときに書いていくつもりだけど、ぼく場合は folder を、実は Mac の Finder で管理している folder と同じ構成にした。仕事のリストなのだからあたりまえといえばあたりまえだ。
 でも、いままでこういうことを連動させるということをやってこなかった。それぞれのツールごとに適当にやっていたのだ。だから頭が混乱してもあたりまえなのかもしれない。
 ついでに書いておくけど、この folder の構成は、Evernote の notebook も基本的に同じになっている。
 こういったツール類などの環境を同じ構成にしておけば、すべてをきちん連動させることができるようになる。
 しかし、こんなあたりまえのことが実行できるようになるまで、いくつ歳を重ねたことか。やれやれ。

 まぁ、それはともかく、これでスケジュールを載せたリストが作れるようになった。
 ということで、あとは仕事をしていくだけだね。
 実は、それが一番の問題だったりして。がはははh。

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2011.07.08

ネタ切れ

 なんにも思いつく暇もなく、電車に乗ってしまった。
 これから 10 分ちょっと、なんでもいいから書き綴る時間だ。
 いつもなら、なんとなく書きたいネタみたいなものが、ぼんやりとでも頭にあるんだが、ときおりからっぽのままということがある。今日がそれだ。

 空白。
 見事なまでに、空白。
 白いワニが……、というのは、かの江口寿史先生の有名なネタだけど、ぼくの場合はちょっと違う。
 なんの音もしない、真っ白な壁に囲まれた大きな部屋の真ん中にただ突っ立っているだけ、といった感じ。
 困ったものだ。
 が、いま困ってはいるけど、実は第三者的な立場から見ていると、狼狽気味になにかを書き飛ばそうとジタバタしている様というのは、なかなかおもしろい。ただこの手が使えるのは一回だけなんだけどね。

 などと言い訳めいたことを書き連ねているけど、なにも思いつかない。
 決して、なにも考えていないわけではない。思考になりきらないつぶやきみたいなものが、頭の中に湧きだしそうなんだが、しかしまだ実体を得るところまでいかず、その微かな気配を感じ取るところで止まってしまっているというのが、正直なところだろう。

 と、さらに書いてみたけど、まだ思いつかない。どこまでジタバタすることになるんだろう。
 だとしても、頭がさっぱり機能していないわけではない、けど、さりとてきちんと動いているのかと問われると、素直に頷けない。
 ぼんやりと考えを巡らせてはいるけど、どこまでいってもあまりにも取り留めがなさ過ぎて、言葉になる前に露と消えてしまう感じ。

 いかん、時間切れだ。
 なるほど 10 分って、けっこう短いなぁ。

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2011.07.07

七夕

 七夕だ。
 なんてことを意識するのは、小学校に進んで数年で卒業したはずだ。
 子どもが、幼稚園や小学校から笹の飾りを持って帰って来ても、ほとんど気にしたこともない。地元でお祭りでもあれば、別なんだろうが。 と、書いて思い出した。そういえば、日吉駅の商店街では飾り付けしていたなぁ。
 人の記憶なんて、アテにならないものだ。

 逗子に引っ越して、まだ一年とちょっとなのに、10 年以上も住んでいた日吉の情景をすっかり忘れている。というか、「いま」に馴染みきってしまうのが、人の性なのかもしれない。
 そういう言い方をしてよければ、確かに「いま」に慣れきってしまうようだ。
 慣れることは、さほど問題ではない。慣れすぎるのがいけないのだ。当初、頭にあったはずの考えなり、予定なり、つもりなどが雪が溶けると消えてしまうように、どこかへ追いやられて、いつの間にかなかったことになってしまう。
 これでは、毎日がただ日常に埋没してしまう。

 まぁ、なにも肩肘張って毎日を過ごす必要はないと思うが、それでも先をしっかりと見ながら、日々を送りたいと思う。

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2011.07.06

はじめの一歩

 やりたいことが決まって、その進め方も固まり、あとは踏み出すだけ。というときになって、いや待てよ、と躊躇することがある。
 決めたときの、あるいは覚悟したときの勢いでそのままフライング気味だろうが、なんだろうが踏み出してしまえば、あとは進むだけなんだが、きちんと順序立てて用意をした場合、往々にして、はじめの一歩が踏み出せないことがある。
 困ったものだが、ときには考えが足らず、踏みとどまってよかったということも、人生を重ねてそれなりに経験しているとままあることだ。だから厄介なのだ。

 踏み出そうとしている足を、もうひとりのいつも首をすくめるように周りを伺っているぼくが止めようとする。
 根拠なんてないのだ。
 いや、そもそも根拠なんていったら、やろうとしていることにも大した根拠なんてない。
 しょせん自分の頭の中で組み立てたことなんだから、客観的に見ようとしてもどうしても独りよがりなところは必ずある。ましてや根拠など、独りよがりの塊のようなものだ。
 それでも、やってみたいのなら、目を瞑ってやってしまうことだ。
 そうやってぼくは生きてきたし、いまこうして生きている。

 だからなんだよ、なんてどこからか非難めいた声が聞こえてくるけど、踏み出さなければなにもはじまらないことも事実。
 たとえいまがとてもいい状態だったとしても、常にチャレンジすべきだし、ましてやそれがこういう状態、まぁ足掻くだけ足掻かないと打開するどころか、このまま沈没しかねないのだから、やるべぎだろう。
 と、なにやら理屈めいたことを書いて、自分で自分の背中を押してみる。
 だから、動くよ。

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2011.07.05

くっきりと見えるとき

 それまでなんとなくバラバラだった考えが、ある瞬間、ピタッとまとまることがある。
 ぼくの場合、まったく関係のないいろいろなアイデアが、まるでジグソーパズルのピースが収まるべき位置に嵌るような感じで、思いもつかなかった形にまとまることが多い。

 今回は、それとはちょっと違う。たとえていうなら、ぼんやりとしか見えていなかったものが、突然、霧が晴れたように、あるいはディテールまではっきりと読み取れるような感じだ。
 まるで何かを合図に、それまでどうやっても合わなかったフォーカスがいきなりピタッと決まったといえばいいだろうか。

 いったん全体が見えると、あとは早い。細かなところまでまるで手に取るように見えるようになる。
 こうなると、頭の中でやるべきことまで、ずらりとリスト化される。あとは、実行するだけ。
 さてと、早速動かなくちゃ。

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2011.07.04

気がついたら 7 月に入っていた

 早いものだ、もう半年が過ぎてしまった……、などとあたりまえの感想を書いてもおもしろくないので、なにかちょっとひねってみたい。
 とはいえ、そんなに簡単にネタがポロポロ零れるようにでてくるわけではない。
 さて、どうしようか……。

 予定では今年の夏は、といってもまだ梅雨が開けたわけではないので猶予があるといえばあるんだが、ともかく今年の夏はたっぷりと海で遊ぶつもりでいた。
 そう、何度か blog にも書いたけど、SUP を本格的にはじめるつもりだったのだ。
 去年の秋口から、スクールに通って、なんとか SUP やってますと言えるぐらいにはなったつもりだった。で、今年の GW 開けぐらいから再開して、夏には感を取り戻して、今年中には波に、まあ、へっぴり腰でもいいから乗れるように、というのが目論見だったのだ。
 どこでどう狂ったのかは、自分でもよくわかっているので改めて書くつもりはない。過ぎてしまったことを、あ〜だこ〜だと愚痴ってもなんの前進にもならないからね。
 ようはこの外れてしまったアテをなんとか辻褄を合わせるべくどう調整するか、だ。

 で、どうするか?
 まずはいま置かれている拠のないポジションから脱出する必要がある。時間を自分の手に取り戻すのだ。
 それから、頭の中で渦巻いているいろいろなプランをスケジュールに乗せなければいけない。
 ついでに先立つものをそれなりに用意しないといけないなぁ。物ごとをスケジュールに乗せるには一番強力な武器になるからね。
 ということで、具体的な予定を立てなければ。
 できたら、梅雨が開けてしまう前に、道筋だけでもつけようか。
 って、それをあれこれやっているうちに拠のない事態に陥ったんだけど、なにもう陥ってしまったから、これ以上悪化することもないだろう。
 とりあえず、はじめなきゃね。

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2011.07.03

時には海で惚けてみる

 予報では曇り空が続くはずだった。
 けど、ふたを開けてみれば、青空が広がっていた。土曜日だけかと思ったら、その青空が今日も続いている。
 こういう日は海で惚けるに限る。
 いろいろなことが襲いかかって来たとしても、やはりときには惚けてなにもかも忘れる時間が必要だ。

 とはいえ、朝から丸一日なにもしないで過ごせるほど余裕があるわけではない。やりたいリストはそれなりに長いものになっているし、しかも今日でなければ片付けられないものも多い。というか、むしろ土日のためのリストの方が長いかもしれない。
 ということで海へ出かけたのは 11 時前。
 賑わいを見せている浜辺にシートを広げて、まず一息ついて、それから身体が火照ると海へ入って、しばらく泳ぐ。

 今年に入ってプール通いができていないので、すぐに腕に疲労感を感じたけど、それでものんびりと泳ぐ。水がまだ冷たくて、少しだけ肩に力が入っていたが、すぐに慣れてリラックスして水を掻いていくことができた。
 やはり海で泳ぐのは気持ちがいい。
 のんびりと、息継ぎをするときには青空をしっかりと見上げて、ゆっくりと泳ぐ。
 足の動きや、手の掻きで水の中を進んでいくのが実感できる。穏やかだが寄せる波のリズムに合わせて、ストロークしていく。この感じがいいんだよねぇ。波のリズムと手の掻きがシンクロするととても気持ちいい。
 この感覚だけは海でしか味わえない。
 くさい言い方をすると、地球の息吹とか、自然との一体感みたいなことになるんだろう。これは、もうちょっと練って自分なりの言葉、Voice で表現したいものだ。

 ともかく二時間ほどビーチで過ごして帰宅。
 とりあえず頭を空っぽにして過ごすことができた。これで命の洗濯はできたはず。
 ということで、明日からまたがんばりましょう。

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2011.07.01

資源の集中

 あたりまえの話だが、どんなに余裕が、といっても精神的なということだけど、あったとしても、一度にやれることは限られている。
 どんなにやりたいことが、それこそ列をなしているような状態ならなおさらだけど、そのすべてに手を出して納得のいくような形で終えることはできない。
 できる人はいい。
 でも、ぼくには無理だ。
 これでも集中力があるほうだ。だから余計なんだろう、平行していくつも一緒にはできない。一度にひとつが原則だ。
 いま、頭の中ではいろいろなプランが列をなして待っている。だから、その都度、考えるテーマが変わる。もちろん、そのすべてがやりたいことだから、どれに手をつけてもいい。だけど、その都度頭に浮かんだことを考えていると、いつになったら形になるのか、あるいはまとめることができるのか、さっぱりわからない。

 ということで、こういうときこそ GTD なのかもしれないが。ただリスト化しても、ひたすら長ったらしいものができるだけ。完了させるためのスケジュールを合理的に組み立てることには結びつかない。
 ここは、やりたいことの断捨離だろう。

 ということで、今週末はやりたいことの断捨離を決行することに。
 まずはクライアントの選別だな。いつまでもしがみついていてもなんの役にも立たないクライアントがあったら、というかすでに頭の中ではすでにランクわけが終わってるんだけど、リストアップして、思い切って捨ててしまおう。
 なに、クライアントがゼロになったとしても、生きていくだけならなんとかなるわけだから、情け容赦なくここは整理すべきだね。
 やり直すことは、いつでもできるのだから。
 人生に遅すぎるということは決してない。いつでもなんでもできるはずだ。

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