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2011年6月

2011.06.30

行く先は霧の中なんだろうか

 人生を、ボートを漕いでいくことになぞらえたのは確かヴァレリーだ。
「湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく。目に映るのは過去の風景ばかり。明日の景色は誰も知らない」
 なるほど、後ろ向きに漕いでいるという比喩は言い得て妙だ。
 行く先が地獄なのか、あるいはユートピアなのか、はたまたパラダイスなのか。それは漕いでいる自分には知る由もない。ただ、そう聞いて霧に包まれた見通しの効かない薄暗い森の中に進んでいくと想像してしまうのか、陽に照らされビーチへと誘われていくと想像するのかで、そのときの精神状態がわかるような気がする。

 さて、いまはどうだろう?
 昏い森を想像してしまうことが、比較的多かったような気がしてはいるが、いまは違う。
 明るいビーチや心地よい風が吹き渡る草原ではないけど、きっと明るい場所のような気がする。
 どうしてだろう?
 たんに楽天的だからなのか、それとも明るい兆しをどこかで感じているからだろうか。
 いずれにせよ、なるようになるという考えに支配されていることは確かだ。ちょっと前までは、絶望的な気分で日々をすごしていたけど、そんな悲観的な気持ちが薄れているということだ。

 不思議もので人生ってやつは、なかなかうまくできている。
 ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチを引用するまでもなく、自身の人生を少しだけ振り返ってみてもよれがよくわかる。まさに、人生は塞翁が馬だ。
 なにがよくて、なにがわるいことなのか、それはそのときにはわからない。
 むしろどんななことが起こったとしてもそれをすべていい方へと考えることが必要なのかもしれない。そう、どんなこともチャンスなのだと考えられるかどうかが大きな鍵なのだ。
 乗り越えられない障害を、神様は与えないものだ。

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2011.06.29

だから続きを書くつもりだったけど

 さて、続きなんだが、実はこの文章は、朝、出かける際の電車の中で書いている。もちろん iPhoneで書いている。かれこれ二週間ほどになるから、そろそろフリック入力にもすっかり慣れてきた。
 あとは、なにを書くのか、ぼんやりとでもいいからその内容が頭の中にあればいいんだが、トラブルのおかげで中断してしまった。
 いったん途切れてしまった思考を再開するというのは、実はそれなりに難しい。
 それまでなにを考えていたのか、それを頭の中で再現して、さらにそこから考えを進めてまとめなければいけないからだ。

 ぼくは、忘れっぽい。

 ということで、頭の中についこの間まで考えていたことのかけらがほとんど残っていない。それなりに、思考の足跡みたいなものはあるにはあるんだが、しかしそれを再現してさらにそこから考えを進めるずくがない。困ったものだが、これがぼくなのだから仕方ないとあきらめるしかない。
 また、頭の中でそれなりに形になったところで改めて再開しよう。
 それがいつのことになるのか、ぼく自身にもよくわからないけどね。
 というところで、そろそろ時間切れだな。
 では、また明日。

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2011.06.28

一応、続きを書くつもりだったけど

 で、続きを。
 ともかく事態の深刻さに気がついたわけだが、気がついたからといって、すぐに改善されるわけではない。
 まずは、なにが問題なのかそれをきちんと認識する必要がある。ところがここでずいぶん手間取ってしまった。だいたい穴に落ちてしまったことにすら、気づかなかったぐらいだからずいぶんと恍けていたものだ。

 と、書き続けるつもりだったが、トラブルが発生。
 困ったことに、トラブルが起こった連絡だけ入って、どんな内容なのか知らされていない。
 実はこういうことが一番困るんだよなぁ。
 原因がわからなければ対処のしようがない。
 いったいなにが起こっているのか、解決方法ではなく、その原因を想像しなければいけないからだ。
 ただ知らせてくれるだけならまだしも、携帯に届いたメールの文面からすると、解決のための情報が欲しいらしい。といってもこっちは電車の中だし、電話で確認することもできない。
 せめてトラブルの内容を端的に知らせてくれればいいものを、ただ起こったことだけではお手上げ状態。しかも、夜まではとある場所にいて身動きが取れないときている。
 結局、もやもやしたまま時間が過ぎていくのを待つしかなくなる。

 これからは、なにが起こって、なにをどうして欲しいのか、詳細はいいから、端的に分かるようにして欲しいものだ。
「お仙泣かすな 馬肥やせ」じゃないけど、必要最低限の情報は欲しいよね。
 ということで、あれこれ考えて物書きすることになっている朝の貴重な時間が潰えてしまった。やれやれ。
 続きは、また今度だな。

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2011.06.27

仕事ってなに?

 このところ仕事のことを考えている。
 仕事といっても、いま進行しているやつではない。もちろん予定しているやつでもないし、いままでやってきたやつでもない。
 もっと概念的な「仕事」についてだ。
 いまぼくはほんとうにやるべきことを、やろうとしているのだろうか?
 こんな疑問が常に頭のどこかにあって、ことあるごとに囁きかけてくる。「ほんとうにこれでいいのか?」と。

 こういうことをいうとなんだが、ぼくは器用な質で、たいていのことはこなしてしまう。それも、満点ではないが平均か、それ以上でこなしてきた。
 学校でもそうだったし、社会人になってからもそうだ。だから、まぁどんなことになってもとりあえず生きてこられた。
 そのせいだろうか、そういう言い方をしてよければ「仕事」について真剣に考える必要がなかったのかもしれない。

 ところが、去年の秋ぐらいからだろうか、少しずつだか物ごとに齟齬を生じるようになり、最初はほとんど影響を感じることもなかったが、やがてそれは大きな亀裂となって、ぼくをすっぽりと飲み込んでしまった。
 人というのは事態の深刻さをなかなか感じ取ることができないようになっている。それまでの慣性といっていいだろう。日常に流されてしまうからか、進行している事態を冷静に分析できず、落とし穴に填まってはじめて悟ることができるようだ。ご多分に漏れずぼくもその大きな穴に落ちて。しかもかなり藻掻いてジタバタしてからようやく事態の深刻さを飲み込むことができた。
 まぁ、すっかり手遅れなんだけどね、それでは。

 という書きかけのところで、明日に続く。

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2011.06.25

海開き

11_06_25

 朝一で打合せがあったので横浜へ。
 平日は時間が取れないので、無理を言って土曜日にしてもらった。ついでに場所も横浜にしてもらったので、時間は先方の都合に合わせた格好。ということで、9 時にスタバで打合せを。

 予報とは違ってとてもいい天気。打合せが終わるとすぐに帰って、ばたばたと支度をするとすぐに海へ。
 逗子海岸は昨日が海開き。
 海の家も営業を開始していて、海水浴客もそれなりにいる。なんだかまだ当分は曇りがちの日が続きそうだが、今日だけは別。
 このところ天気が悪くて海で惚けるのは久しぶり。

 椅子に座ってのんびりと海を眺めて過ごす。
 ついでに、ちょっとだけ海に入って泳ぐ。よく考えたら今年はじめてだな、泳ぐのは。さすがにちょっとだけ水が冷たかったが、やっぱり気持ちいい。そんなに長居したつもりはなかったけど、日灼けしてしまったみたいだ。肩の辺りがちょっと痛い。

 さてと、今年はどんな夏になるんだろう。

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2011.06.23

疎くなってるんだけど

 決していいことだとは思わないが、世の中の動きに疎くなっているような気がする。どんな事件やニュースがあったのか、以前に比べると接する時間が短くなってしまったからだ。
 平日、毎日出かけているからいうこともある。また、外出中は自由になる時間がなく、たとえばネットにアクセスしたり、ニュースを見たりすることもできない。だいたい iPhone を使うタイミングもまったくといっていいほどない。
 それでも、そういった時間がゼロなのかというと、そういうわけではない。そのつもりさえあれば、10 分や 20 分ぐらいなら空いている時間がある。ただその時間にニュースをチェックしようという気が、起きないのだ。もうそれは見事なほど起きない。

 じゃ、その空いた時間になにをやっているのかというと、これといって思い当たることがなかったりする。
 そう、ただ無為にすごしている。
 そういう言い方をしていいなら、惚けているということになるんだろう。外出している間に、特別ヘビーなことをしているわけではない。人と話をしたり、ちょっと調べ物をしたり、やっていることのひとつひとつはたいしたことではない。
 それでも、ちょっと深呼吸して、無為に過ごす時間が必要だ。そういう毎日を送っている。

 帰れば帰ったで、自由になる時間はそれなりにある。
 というか、たっぷりあるといってもいい。
 でも、なぜか真剣にニュース見たり、世間の動向を気にしたりするつもりになれない。
 こういうのって、どういうことなんだろうねぇ。
 まずは、自分の生活ってことなんだろうか?
 それとも思考活動なんていったら大げさになるんだろうけど、たとえばなにかを考える能力の一日分のキャパを超えてしまっているということなんだろうか?
 だとしたら、そのキャパをもっと大きくするか、あるいはペース配分を考え直せばいいということなんだろうか?

 この生活パターンになってもう二週間が過ぎている。
 そろそろこの生活にも慣れて、もうちょっと時間を有効に使えれば、なんて思っているんだけど、いままで怠け過ぎたのかもしれんなぁ。
 とりあえず慣れるまで待つのか、それとも少しだけ無理をしてみるのか。来週あたり決める時期かもしれない。

 しかし、世間といってもなぁ、くだらないことだけらみたいだしなぁ。ほら永田町のドタバタとかさ。
 このまま世間と遊離してしまうのも、ひとつの生き方だったりしてね。ふむ。

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2011.06.20

もうすぐ海開き

11_06_20

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海で惚けるには

 このところ海で惚けている時間がほとんどない。ひとつは、某××××××の×××で××××をしているためなんだが、もうひとつ、梅雨空が一向に晴れてくれないということもある。
 だいたい梅雨入りが発表されると途端に青空が広がったりするものなんだが、今年は予報がぴたり的中。どんよりとした雲が空一面を覆ったままだ。

 平日、のんびりとする時間がほとんどないのは、仕事をしていればよくあることなので、さほど気にはならないが、せっかくの週末なのに雨に振り込まれて、家に閉じこもっていなければいけなかったりするとさすがに息が詰ましまう。
 それでも構わず浜辺でのんびりすればいいのかもしれないが、天気がこうもよくないと、シート広げて寛ぐわけにもいかないし、ごろりと浜辺に寝転がり昼寝を楽しむわけにもいかない。せいぜい波打ち際を散歩するぐらいだが、それではのんびりと惚けていることにはならなかったりする。
 気分転換の意味もあって、ちょっとでもいいんだが、惚ける時間が欲しいんだよなぁ。
 それも、海で。

 いや、待てよ。海で気分転換したいなら、海で遊べばいいんじゃないだろうか。どうせ海で濡れることを考えれば、多少の雨は関係ないだろうし、童心に帰るような遊びができない歳ではあるんだが、なにかに打ち込めばリフレッシュできるはずだ。
 なるほど、そうだね。海でできる遊びをはじめればいいのか。
 って、やりたいことはもう決まっていて、で、それを本格的にはじめるためにも××××××の×××で××××することが必要だったりするのだ。
 ということは、まずは××××××の×××で××××することを片付けてからということになるんだろうか。
 それとも、それまでに梅雨が開けるのが早いのか。
 どちらにせよ、今年の夏はどんな夏になってくれるんだろう。もっとも、まだ当分は曇り空が続きそうだけど。ふむ。

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2011.06.19

オリンピックアジア二次予選 vs クウェート

 フタを開けるまでどんな試合になるのか想像がつかなかった。
 が、開始早々日本とクウェートの力の差ははっきりとわかった。日本の方が上なのは明らかだ。立ち上がりから日本が攻め立てる。
 ただ、この攻撃が続いている間に点が獲れなければいやなムードになるんだが、などと心配したんだが無用だったようだ。サイドから崩すと、大迫の裏にいた清武のナイスヘッドで先制。そのまま日本が支配する格好で、しかも追加点も奪い、いいペースで前半を終えた。

 このまま無失点で終えてくれればと思っていた後半。クウェートも前がかりになり得点を狙う。
 が、大迫のシュートで 3 点差。これでこのまま試合をクローズさせれば完勝だったんだが、ことはそう簡単にはいかない。
 クウェートの攻撃を巧く捌いて追加点を獲った油断からか、ミスからボールを奪われて上げられたクロスを跳ね返したら、クウェートの選手にきっちりと返ってしまった。これをそのまま蹴り込まれ失点。

 日本のプレイヤーだとボールを落ち着かせてから蹴ることが多いんだが、世界が相手だと多少無理な体勢だろうが、ボールを受けた瞬間にシュートしてくる。
 確かにシュートは巧かったが、明らかなミスからの失点。これを今後の糧にしてくれればいいんだろう。
 もっとも今回のレギュレーションではアウェイゴール方式なので、これが高価な糧にならなければいいんだけどね。
 次は、クウェートでのアウェイ試合になるんだが、ごく普通に試合をすれば負けることはないだろう。もちろん、あくまでもごく普通に試合ができれば、だけど。
 ええ、かなり心配性なんです。

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2011.06.17

イノベーションって

 たまには、ちょっと真面目なことを考えてみよう。
 フリーになってからぼくは人の注文に応じて生きてきたように思う。いわゆる発注をしてくれるクライアントという意味なんだが、引く手数多という状況ならいざ知らず、ときにはぱったりと注文が途絶えたり、これ以上はないほど激減したり、こんなに適切な言葉はないと思うんだがまさに山あり谷ありの繰り返しだった。その頂が高ければいまとは違う人生になっていたんだろうが、いわば風まかせの根なし草の場合は哀しいかな人並みがせいぜいと相場が決まっている。
 なんとか注文があるうちはいいが、問題は途絶えたときだ。
 これまでにもそういう節目みたいな時期を迎えている。

 いまから考えると、そういうときは世間の動向に目がいってしまい、大切なことを考えずに過ごしてしまったようだ。それがいまならよくわかる。根なし草だから流行が気になってしまうのは当然なんだろうが、しかしそれではじっくりと根を張ってチャンスを迎えている人たちに太刀打ちができるはずがない。
 だいたい自分のポジションを見失っているから、世間が気になったり、人がやっていることの後を追ったり、要するに目移りがして、ほんとうは見ていなければいけない方向が見えていなかったのだ。
 なんだっていまさらこんな当たり前のことにようやく気がついたのか、少々情けなくはあるんだが、まぁ気がついたのだから、これからは大切なことを考えるようにすればいい。
 自分自身と正しく向き合うことができるようになったのだと、これはこれで歓迎すべきことなんだろう。

 しかし流行を必死に追いかけても、先頭を走る人のお尻に追いつくのがせいぜいだ。
 だったら、無人の荒野を行けばいい。
 そのキーワードが「イノベーション」だ。
 イノベーションといっても、なんだか大それた物を発明する必要なんかない。いままで「イノベーション」と聞くと,大仕掛けの実験なんかを繰り返してようやくその端緒にたどり着けるような、大発明といったイメージがあった。けど、そうではない。
 イノベーションって、いまやっていることと密接に関係がある。それは、いままでになかったまったく新しいモノを創ることではなく、未来にあるふつうのモノを創ることだからだ。

 それはいまの延長線上にあるわけではない。
 しかし、いまと関係がある。
 もしかすると尋常な関係ではないかもしれない。月面宙返りぐらい価値観が変化しているかもしれない。パラダイムシフトというやつだ。しかし、いまと繋がっていることは確かだ。でなければ未来にふつうのモノとして存在することはできないだろう。
 だからこそいまのぼくの頭にあるものをきちんと整理して、そして少しだけ飛躍して考えることができれば、未来に、いや、明日でもかまわないんだが、いまはないけど明日にならあって、そしてごくふつうに使えたり、楽しむことができるモノを思いつくことはできそうだ。
 もしかしたら、ちょっとだけ頭の使い方がわかったような気がしている。
 これなら、世間に目移りしたり人のお尻を追いかけることもなさそうだ。
 まずはそこからはじめる大切さがわかったからね。

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2011.06.16

だから日常は

 それでも埋没する、はずだったけど、さすがに二日続けてアクシデントに遭うと、そういうわけにはいかない。
 昨日は朝の電車が遅れたが、今日は帰りの電車が遅れた。
 朝のアクシデントは、その後の時間が長いから感覚的にも日常と変わらないイメージで過ごすことができたが、夜のアクシデントはその後の時間が短いだけに印象に残りやすい。しかも昨日は 30 分ほど遅れただけだったが、今日は振替輸送ということで、いつも使う JR ではなく江ノ電で鎌倉まで戻ったから、その印象はさらに強くなっている。

 そのおかげで、いつもの毎日ではなく、いつもとはちょっと違った一日になった気がする。
 だからといって、一日の中身が特別だったかというとそういうわけではない。
 なるほどやはり特別な一日にするというのは、もっともっと工夫が必要なんだということだろう。これはこれでなかなかに手強い課題なのかもしれない。二日続けて起こったアクシデントがそのことを教えてくれた。

 しかし、江ノ電で通うってのはどうなんだろうねぇ。
 駅の間隔も短いし走行スピードもちょっと控えめ。駅の雰囲気ものんびりしているし、乗客もなんとなく鷹揚としてしていて、どこか牧歌的ですらある。
 逗子に住むようになって、ある意味のんびりとしたリズムが染みついてきているけど、これにさらに牧歌的な感じが加わったらどうなっちゃうんだろう。自分のことだけど予想がつかないし、それはそれでちょっと興味があるなぁ。

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2011.06.15

それでも埋没する日常

 このところいつも同じ時間の電車に乗って出かけているわけだが、今日はアクシデントのために、遅れてしまった。
 人身事故のためだ。
 図らずもいつもとは違う午前中になってしまった。毎日を特別な今日にしようということを心がけていたが、今日は朝からいつもとは違う。 しかし、これで今日が特別な一日になるんだろうか?

 いままでにもこういうことはあった。しかしそれでその日が特別な日になった記憶は、実はなかったりする。
 そうなのだ、こういうアクシデントでその日が特別な日になることは、ほとんどないといっていいだろう。
 確かに、何十分か、あるいは一時間ぐらいは時間を無駄にしてしまうかもしれない。午前中はちょっと慌ただしいものになってしまうだろう。でも、それだけだ。

 午後になってしまえば、きっと電車が遅れたことなど忘れてしまい、いつものような一日になるだろう。それほど、日常というやつは単調で平板な日々に埋没させてしまう力を持っている。こいつがなかなか侮れない。
 逆の言い方をすれば、特別な一日にするには、それなりの覚悟なり、意思が必要だということだ。
 日常に埋没しないための創意工夫と覚悟。しばらくらこいつを身につけることをきちんと考えるようにしないといけないだろう。
 ということで、結局今日はそこまで特別な一日になってはいない。まぁ、考え方によればあたりまえだけど、いつもとは違う日ではあるんだが、特別な日ではなかった。
しばらくは埋没しない工夫を心がけるしかないんだろうなぁ。ふむ。

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2011.06.14

ある日突然、ということがある

 不思議なもので、とくにこれといったなにかがあるわけではないのに、いままで頭の中でバラバラになっていたものが、勝手に組み上がって形になることがある。
 まるでジグソーパズルのピースがぴたりと嵌るような、あの感じだ。
 それまではまったく関係のなかったはずの、アイディアとはいえないような断片が、さながら化学反応を起こしたように、繋がり、あるいは変化して、形を成していく。

 この、自分ではどうしようもない変化の過程は、しかしとてもおもしろい。自分が意識して組み上げていくわけではなく、勝手に反応し合い、ときには感応し合うさまは、見たこともないようなダイナミックな展開だからだ。
 それでいて組み上がったものは、突飛でとんでもないものかというと、そんなことはない。むしろ意識して組み上げたものよりも整合性がとれていたり、絶妙なバランスの上に成り立っていたりする。

 そんなとき、ぼくの頭も捨てたものじゃないと少しだけうれしくなる。
 ほんとうの勝負はこの組み上がったものをさらに磨き上げて、誰にでもわかるものにすることだ。
 それでも、この瞬間はたまらない。だから、うんうんと唸りながら、考えを巡らすのも悪くはないなと思えるのかもしれない。まぁ、滅多にあることじゃないけどね。

 ということで、今回は、朝、海へと向かう道でいままでもやもやしていたことがある形になってくれた。
 さてと、どうやってこれをきちんとしたモノに仕上げていこうか。

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2011.06.11

波の間に

11_06_11

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そして海の写真を

 激しい風と雨。
 起きたらちょっとした嵐のような天気。梅雨だから仕方ないのかもしれないけど、早く青空が見たい。ふむ。

 この雨の中で写真はどうかとも思ったんだが、それはそれでこういうときこそ撮っておくべきだよな、ということで、ずぶ濡れになりながらいつものように海の写真を。
 きっとこの経験がぼくの人生になにかをもたらすこともあるだろう。
 なんてことを真剣に考えているわけではないけど、同じ場所を毎日撮るというのは、それはそれでいい経験になるはず。これはマジでそう思っている。繰り返しながら、しかしそれでいて毎日違う表情を捉えることができるかというのは、ぼくには大切なことだと思うからね。

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2011.06.10

踏切に咲く花

11_06_10

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いつもやっていることをやっていれば、いつも手に入るものしか手に入らない。

 このところ同じ時間の電車で出かけ、同じ時間の電車で帰るという日々が続いている。
 確かに、家を出る時間は前後することがあるし、買い物をして帰ることも多いから、決まりきった時間で過ごしているわけではない。それでも判で押したようなという表現があてはまる毎日だといえるだろう。
 それがいいことか悪いことか。あるいはそういう判断をすべきことではないんだろうか?

 ぼくは電車に乗れば、すぐに iPhone の Simplenote を起動して、どんなことでもいいからなにか書くことにしている。これはいいか悪いではなく、必要な習慣づけだ。毎日繰り返すことだけど、これに関しては、判で押したようなという表現は当たらないだろう。
 けれど思考を伴わない行動、この場合でいうと、同じ時間の電車に乗るということだが、それで日常を定型化することになにか弊害がありそうな予感がしている。
 同じ時間に起きて、同じような時間に海へ行って写真を撮り、同じように Web 巡りをして、リストを確認してメールして、いつも同じことを、同じように繰り返す。そこに新しい発見があるだろうか? あるいは新しい一歩があるんだろうか?

 同じ日常を繰り返す。
 とてもストイックなイメージを抱いてしまうが、しかし、それはある見方をすれば硬直化しているともいえる。
 硬直化すると、ひとはその場になんとか留まろうとして、むしろ退化してしまうと個人的には感じている。そう、同じ日を繰り返すということは、もしかしたらこれは、あまり褒められたことではないんじゃないだろうか。
 いや、なにもだからといって、毎日別ルートでしかも違う路線の違う電車に乗るといったゲーム感覚で出かけろとは言わない。
 そこまでやる必要はないだろうし、定型化するということは、効率化とか、あるいは一定の水準を保って処理することには欠かせないことなのかもしれない。
 けれど、なにか新しいものを生み出すということで考えれば、定型化は自らが作った安全なポジションの中だけでなにかをするという居心地の良さしかもたらさない。
 日常に埋没してしまう大きな落とし穴がそこにないとは、誰にも言い切れないだろう。

 ということで、もし可能であれば、日常化することなく、日々をそれぞれ特別な今日として生活してみようと思う。
 って、これ考えるだけでも、けっこう手間がかかりそうだから、ほんとうにできるのかどうかはわからない。けれどいつものご飯に味噌汁に卵の朝食を、ときにはパスタにしてみるとか、ちょっと想像できないけどラーメンにしてみるとか、そんな些細なことでもいいかもしれない。
 ジム・ローンの言葉にもあるように「いつもやっていることをやっていれば、いつも手に入るものしか手に入らない」ことは確かだ。だからこそ、あえて違う毎日を、特別な今日を過ごすようにしてみよう。

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2011.06.09

遊離しているのはぼくなのかもしれない

 諸般の事情により、ということでいいと思うんだが、ともかく業界とはまったく縁のないごく普通の人と話をする機会がこのところ増えている。
 話をしていて改めて思うんだが、ぼくはことパソコンや IT 機器を含めた環境ということでいえば、特殊なポジションにいるようだ。パソコンの使い方ひとつにしてもそうだ。
 毎朝 Google Reader で気になるサイトをチェックして、読み返したいと思うページは Read it Later に送って、さらにこれは参考にしたいと思うものは Evernote に保存する、なんてことをやっている人はいない。まったくといっていいほどいない。
 たとえば iPhone や iPad にしてもそうだ。iPad を触っているどころか、それはなんですか? と逆に質問されることすらある。

 よく考えてみたら当たり前のことなのかもしれない。
 iOS 5 のベータ版のインストールがどうのこうのなんて、業界と関係なければ、なんの話なのかさっぱりだろうし、日常生活に必ず必要なものなのかと問われたら、首を横に振らざるを得ない。
 そういう意味でいえば、遊離しているのはぼくの方なんだろう。
 それをきちんと自覚した上で、これからいろいろなことを考えるべきかもしれない。アプリはもちろんだけど、いろいろな企画をするときにね。やはりベースになる数をきちん把握しておくというのは大切なことだと思う。
 だからといって、それじゃぼくが Mac や iPhone、iPad を触らない日が来るのかといったら、それし絶対にあり得ないことなんだけどね。
 なんてことを考えながら、昨日は iOS 5 のベータ版をダウンロードしたのであった。

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2011.06.08

日記と blog

 ××××××の×××で××××をすることになったことは以前にも書いた。
 実はそのために生活ががらりと変わってしまうことになった。予定ではここ二ヶ月ほどなんだが、平日は毎日外出、××××××の×××で××××するわけだ。帰りは夜。とはいえそんなに遅い時間帯ではない。ただ、いままでは時間を自由に使えたけど、しばらくは大幅に制限されてしまうことになる。
 帰り着くとそれなりに疲労しているわけで、いままでのように Web 巡りや blog 書きなどに没頭したりすることが難しくなっている。
 ある程度、慣れはあるんだろうから、そのうち費やす時間が増えていくことも考えられるけど、根本的に見直した方がいいことは確かだ。いい機会だから、いままでとは違うリズムで生活を組み立てるチャンスでもあるしね。

 とりあえず、まず blog 書きについては、いままでのように思い立ったときに書き散らすみたいなことはできないだろう。あと、いままではローカルで日記を書いていて、そこから抜粋したものを blog にまとめ直していたんだが、このあたりの関係を見直すべきときなのかもしれない。
 要するに日記的要素も含めてすべて blog に書いてしまうということだ。

 もっとも、Web 日記を書きはじめてから、かれこれ 15 年近くになるので、日記を書かないということが考えられないことも事実。日記を残してなんになるのか、実はよくわかってはいないんだが、ここまで続くと癖というよりは、日常のなくてはならない習慣のひとつになってしまっている。これを別のやり方にする、と一言でいってしまうことは簡単だが、それでは具体的にどうするのかということになると、ほとんど思考停止状態になってしまうのだ。

 これまで、実は日記とは違うスタイルで書こうとしたことはたびたびあった。それでもその習慣を、それも生活の一部になってしまった習慣を変更するというのは、言葉でいうほど簡単なことではない。
 なんだかんだで元のスタイルに戻ってしまい、それをそのまま blog に書くわけにもいかず、ローカルから抜粋しているのだ。

 しかし、これは二度手間に等しい。
 ということで、まずは日記と blog をどうするのか、そこから考えなければいけないのかもしれない。
 まずはそれを今週ちょっとチャレンジしてみよう。

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2011.06.04

青と碧 2

11_06_04

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2011.06.01

いまさらだけど GTD

 ひょんなことから GTD にチャレンジしてみることにした。
 いや、正直いうと GTD のことを、単なる時間マネジメントかなんかだろうと勘違いしていたのだ。それも hack 系のテクニックに違いないとも思っていた。
 それはまったくの間違いでありました。
 すいませんでした。

 ひょんなことから、このエントリーに行きあたり、ちゃんと読んでみたら、自分がとんでもない勘違いをしたいたことがわかったので、さっそくググってこのページ を見つけて、GTD はどんなものかを把握。
 もちろんただ読むだけではだめだよね。ということで、今日は夕方までの時間をかけて、まずは最初のステップである収集と、その次のステップになっている処理までをやってみた。

 実は、ここ数日、毎朝その日のテーマをメモ書きするようにしていたんだが、それをもっと徹底的にやる感じ。ただし、GTD の収集で目指すのは、頭の中にあるやりたいことすべてをメモに書き記すこと。だから公私の区別なくともかく頭の中にあるものをすべて吐き出すことが大切なんだが、これがなかなかに手強い。
 リンクしてある記事の実践編にもあるように、A4 5 枚を目標にしてやってみたけど、3 ポモを費やしてなんとか 4 枚まで到達。あと少しで 5 枚目に突入というところで完璧に止まってしまった。
 まぁ、どういうことをすればいいのかはわかったので、とりあえずそこで収集は終了。
 それから、処理へと移る。

 これも、同じように実践編に載っているチャートを参照して、勢いで片付けてみた。
 これはさほど手強い感じはなく、スムーズにできた。
 で、ここではたと手が止まってしまった。次のステップはこれをツールに落とし込んで整理するんだが、どんなツールが最適なのか皆目見当がつかなかったのだ。
 できたらいま使っているツールをとは思ったけど、リストが作れるだけでは駄目だし、どうもこれだというものがない。
 ここは素直に、紹介されていたサイト check*pad でリストを作っていくことにした。これだとほかの環境からもアクセスして確認したり、チェックできるので便利。
 とりあえず、書き出したことを、6 つのリストに分けてみた。
 ただ、項目を階層にできないんだよなぁ。プロジェクトというか、仕事のことになると階層で管理したい項目がいくつかあるんだよね。これはどうしたらいいんだろうか?

 ということで、これはとりあえずマインドマップで全体を俯瞰できて、なおかつ階層でも判断できるようにしてみた。check*pad のリストとこのマインドマップを確認すれば、いまなにをすればいいのかがきちんと把握できる、はず。
 まずはこれでしばらく運用してみることにしよう。
 しかし、なんだ、勝手にこんなことだろうと決めつけるのはよろしくないなぁ。
 この点は大いに反省しなければ。ね。

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