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2011.03.06

なんとなく、しっくりこない理由がわかったような気がする

 以前、ぼくが blog に書いた「日々を記録するということ - ライフログってなんだろう?」というエントリーがある。そう、ライフログを残していく意味がわからないという内容だ。あのときに感じていた、じゃないな、あのときまで感じていた疑問は、実はまだそのままぼくの中に残っていて、まるでのどに刺さったままのさなかの骨のような感じになっていた。
 が、そのひとつの回答を今日得ることができた。

 いつも読んでいるblog 「lifehacking」の「iPad 2 と Apple の勝利の方程式、忘れっぽさについて、Posterous 2.0 (ライフハックリスト、2011/3/4)」 というエントリーの、「「忘れっぽさ」と闘うたった1つのマインドハック | シゴタノ!」というタイトルで書かれている一節だ。
「振り返ったときに、過去の自分が自分の方を向いているでしょうか? それとも気づかぬうちに、過去の自分が見えなくなるほど遠くまでやってきたあげく、自分自身がどこにいるかも、自分が誰であるかもわからなくなっているなんてことはないでしょうか?」という部分。
 これがたぶんライフログを録りつづける、そして残す大きな理由のひとつなんだろう。

 やれやれ、これで謎が解けた。
 どうして、ぼく自身がライフログという方法を素直にそのまま受け入れることが、やはりできずにこうしてウダウダと考えてしまうのか納得できた。
 別に、ライフログを録るということに反対する気はさらさらない。
 それが大切だと思う人は、きちんと残して、過去を振り返り、いつでも自分のスタート地点がわかるようにするべきだろう。

 でも、ぼく自身はそれをする気はない。
 こうしてライフログの持つ意味が、ちゃんとしたそれも模範といってもいいような答えを知ったから、はっきりといえる。
 ぼく自身はスタート地点がどこだったのかを再確認する気がないのだ。というよりも、まったく気にしていないといった方がいいだろう。ぼくの視線は常にゴールにある。
 いや、正確にいった方がよければ、常にゴールにあろうとしている。
 そう、ぼくは過去には興味はない。というか、過去をあれこれ考えることはやめようと思っている。いつも新しい時を、新しい日を、新しい自分を求めていきたい。もちろん、それがぼく自身が願っているゴールに繋がっていると信じているからだ。
 過去はいつまでも過去でしかない。
 過去を振り返って自分を修正するという方法ではなく、目指しているゴールにたいして進んでいる方向を確認しながら、前に進んでいきたいと思っているからなのだ。

 だから、なにかを所有し続けるということについても、疑問が生じるのだろう。
 過去に読んだ本、過去に聞いた曲、過去に観た映画。過去に繋がるすべてのもの。断捨離という考え方は、こういうものを断つという意味が込められているんだと思う。押し入れにしまい込んだ、過去を想起させ、そして過去の記憶へ絡め取ろうとするすべてのものを断つ必要が、きっとぼくにはある。
 過去を大切にしすぎると、過去に囚われてしまうからだ。
 ぼくが恐れているのはたぶんそれだ。まるでアンカーのように過去はぼくをなにかに縛り付けてしまい、時にはゴールを見失わせたり、あるいは見誤らせたりする。

 そう、ぼくは前を向いていたい。
 たとえ、スタート地点がわからなくなろうとも、スタートしたときの自分とはまったく違った自分になっていたとしても。ぼくはゴールを目指していきたいから。
 うん、とりあえず納得。

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