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2011年3月

2011.03.29

波打ち際の魚影

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キング

 チャリティマッチだから試合のことをあれこれいうことはない、と思っていた。
 けど、カズのゴールを見てしまったら、なにか書かなければいけない気になってしまった。
 ということで、ちょっと散漫な文章になっちゃうけどつらつら書いてみよう。

 前半見て思ったこと。
 日本代表の選手、いわゆるアジアカップ組のみんなはなんだか進歩しているような気がした。たとえばボールタッチだったり、プレイの質だったり、ひとつひとつに自信のようなものが感じられて、とても頼もしく思った。
 成長しているんだなぁ。
 しかも、縦への意識が明確で攻撃にテンポがある。
 あと、遠藤のボールタッチのテクニックにもちょっと感動。巧い。
 それに岡崎のシュートも巧かった。いや、さすがです。

 後半見て、やっぱり過去の代表を思わせるテンポが、いまの代表とは違うなぁと。
 ほら、ボールを捏ねてしまう人が、動き出しを無駄にしていたりして……。いや、もういうまい。

 気がつけばとても多くの選手が海外に出てるんだなぁ。とてもいいことです。
 これからの代表が楽しみ。

 で、やはりカズ。
 どれだけ待てばボールが来るのかわからない。
 どれだけ待てばチャンスが来るのかわからない。
 どんな中心選手だったとしても、90 分のゲーム中にボールに触れるのはほんの数分しかない。しかし、サッカー選手はそのわずかな時間のために練習を重ねている。
 それにしても、たった一瞬を呼び込むために、ものすごい練習を重ねているカズ。
 自らの肉体に、自らの限界にチャレンジして、しかもほんの一種のチャンスを呼び込み、そしてそれをものにする。

「彼はなにかを持っている」と簡単に言ってはいけない。
 それだけのことを彼自身が普段から為しているのだ。
 それだけのことを自分が成し遂げることができると信じているのだ。
 だから、たとえわずかな時間だとしてもピッチに立ったときのために練習を重ねている。
 彼のゴールを見て、思わず涙がこぼれそうになった。
 人は、人にこれだけの感動を与えることができるのだ。そして、いまこのぼくに与えてくれたカズ。
 これからもカズと、そして横浜 FC を見続けていこう。
 それにしてもすごい男だ。
 彼を誇りに思う。

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2011.03.28

透き通る海

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2011.03.27

Time Warp


 実は、ここ何日か「The Rocky Horror Show」に填っている。
 というか、再燃してしまったといった方がいいんだろうか?
 この映画を最初に見たのは大学の頃。中野の武蔵野館という、その当時は上映中でもたばこが吸えたというとんでもない映画館であった。もうないだろうなぁ。
 これはカルトムービーの元祖ともいえる映画で、ぼくが見たときもファンの女の子が、ティム・カリーが登場してきたところでクラッカー鳴らしたりして大騒ぎしていたけど、アメリカではいまだにお約束の突っ込みを入れたり、上映と同時に舞台で役者が芝居を同時進行させるといったパーティ形式の上映が、いまでも続いているらしい。
 DVD にも、アメリカでの楽しみ方を実際に体験できるメニューがあって、映画の途中で画像が切り替わって、お騒ぎしているホールの様子を見ることができる。

 それはそれとして、なぜにいまぼくが「The Rocky Horror Show」なのかというと、明確な理由はなくて、Mac でこれを流し見しながら漫画本を整理していたんだが、どうやらそのときに聴いた劇中の唄のひとつ「Time Warp」が耳について離れなくなってしまったのだ。
 きっかけなんてそんなものだ。
 でも、なかなかパンチの効いたいい唄なんだよね、これが。

 ということで、なんとか iTunes で聴けるようにできないものかと、ふっと思い立ち、あれこれ調べてみた。
 一番まともな方法はサントラ盤の CD を購入することである。
 それは間違いない。しかし、iTunes Store には売っていなかった。
 じゃ、Amazon で注文するか?
 それがまっとうな大人の考え方だろう。それはぼくも理解している。
 けど、いますぐに聴きたい。

 そう、手に入らないとなると、ともかくいますぐなんとかしたくなってしまう。どうやらぼくはあまりまっとうな大人とはいえないようだ。
 最初は DVD のサウンドから抜き出せないかといろいろとやってみたんだが、これがうまくいかない。
 あっ、You Tube があるじゃん。ということで、You Tube で検索したらちゃんとありました。いや〜、You Tube ってなんでもあるんだなぁ。
 しばらく You Tube で聴いていたんだが、これを iTunes に取り込むことはできないんだろうかという邪な考えが、ふっと頭をよぎってしまった。
 こうなると駄目なんだよなぁ。
 ダメ元でいろいろググってその方法を調べてみた。
 いや〜、蛇の道はなんとやら、ということで、できるんだね、これが。
 理屈としては映像をダウンロードして、そのデータからサウンドだけ抜き出して、iTunes で読み込めばいい。なるほど。

 ということで聴いてます「Time Warp」。もちろん You Tube で。
 いちおう分別のある大人、ということです。
 酔っぱらって聴くとついつい振り付け通りに踊りたくなっちゃうんだけど、さすがにクラッカー鳴らしたりはしていない。いまのところ。

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2011.03.26

手頃な波

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2011.03.24

大量処分?

 実は発作的といってもいいんだが、とうとう押し入れに突っ込んでおいた漫画本の処分を敢行した。
 先週末、突如その気になり押し入れから漫画本を引っ張り出して、処分するものと、とりあえずは Book Off に持ち込むものの選別をはじめた。ところがこれが遅々として進まない。
 というのも、選別という理由で読み返したりしているからだ。
 そもそも「キャプテン」を読み返してしまったのが間違いだった。そのあと「プレイボール」と続き、さらには「ヒットエンドラン」と野球ものを再読しはじめてしまった。これ、きりがないんだよなぁ。このまま「野球狂の詩」までいってしまうと、さすがにこの泥沼から抜け出すのに何時間かかるのかわからなくなってしまうので、半分無理矢理だけどバリバリ伝説」へと路線を変更して、なんとか止めることができた。やれやれ。

 ということで、表紙が破れてしまったり、変色してしまったものをともかく紐で縛って、今朝、回収ゴミとして出してきた。
 その冊数は正確には数えていないけど、だいたい 20 冊ぐらいでまとめて縛ったものが、おおよそ 20 個ほどあったから、総数は 400 冊か……。って、そんなに買ってたのか? それも漫画本を。
 いや、まだ Book Off に持っていくやつがその半数はあるから、総数となると、手元に残しておくものも含めると 700 冊は超えるなぁ……。
 はぁ〜。
 ため息をこぼしてもいいだろう。
 こんな溜め込んでいたのか。

 とりあえず、これでちょっと身軽になったぞと思って、押し入れを確認してみたら、ほぼ同数の本が山となっていた。
 いったいどれだけの本を貯めていたのやら。
 しかも、すでに一度 Book Off へ持ち込んだ残りがこれだものなぁ。
 本当の意味での処分はいつ終わるのか。それこそ果てしなき時間が必要なのかもしれない。
 それを思っただけで気が遠くなってしまう。やれやれ。

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2011.03.22

灰色の海

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2011.03.21

雨の休日

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2011.03.20

引き潮

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2011.03.18

パシャ

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マスコミュニケーション

 地震と津波のショッキングな映像が一段落したら、今度は福島第一原発の話題ばかりだ。
 しかし、そのニュースの内容が、ぼくにはきちんと伝わってこない。
 どういうことか?
 ほんとうはなにが起こっているのか、それはどの程度の危険な事象に突入しているのか、これから考えられる最善のシナリオと最悪のシナリオはなんなのか、まったくわからないのだ。
 そもそも、政府と東電がしかるべき情報を流していないのかもしれない。
 けれどニュースをぼくたちにきちんと伝えるべき役目を果たさなければいけないマスコミが機能していないとしかし思えない。
 いたずらに刺激的なタイトルで煽っているのではないか?
 あるいはただ渡された資料のデータ値を理解もせずそのまま載せてるだけじゃないんだろうか?
 だいたいテレビでニュースを見ていても、単なる憶測の上に憶測を重ねて、ほんとはなにが起こっているのか、もしかしてマスコミの人たちもさっぱりわかっていないんじゃないかとすら思えてくる。
 Twitter の TL だってそうだ。専門家でもない人たちが、正確な情報を持っていないにもかかわらず、憶測を並べているようにしか思えない。
 だから、首都圏を脱出しようなどという扇情的な言葉を投げかけられても、さっぱり反応できないでいる。
 いまのぼくには、空気中を飛散して鼻を詰まらせる花粉の方が重要な問題だ。

 しかし、マスコミってほんとうにいまの日本に必要なの?
 というか、そのマスコミといわれている組織の中に、ほんとうの意味でのジャーナリストってどれぐらいいるんだろうか?
 居丈高にインタビューの相手を詰問してみたり、説明をちゃんと聞いていればわかることを何度も質問してみたり、どういう意識でこの人たちは仕事をしているんだろう?
 今回の災害では日本のいろいろな側面を見せられることにもなったんじゃないかと思うけど、そういう意味ではジャーナリストと称している人たちの酷さにはほとほとあきれてしまったというのが正直な感想なんじゃないだろうか。きっとそれはぼくだけではないはずだ。
 情報を読み取るリテラシーが必要だということは、ネットが普及しているいまとても大切なことだと思う。しかし、そのリテラシーが必要になる理由の一つとしてまともなジャーナリストがこの国にはいないということもあげられるのかもしれない。
 それは、ある意味では今回露呈した悲劇のうちでかなり大きな位置を占めているとぼくは思う。

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2011.03.15

飛べ!!

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2011.03.14

風と波と

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日常を取り戻すむずかしさ

 金曜日の午後から、なんだか特別な時間が続いているようだ。
 いままでに体験したことのない震災にあったわけだから、その程度が軽いとはいっても、やはりいままでとは違う時間が過ぎている。
 日常なんて、ビクともしないただ退屈なものだったはずなのに、こうして壊れてしまうと取り戻すのに相応のエネルギーが必要なことがわかり、正直戸惑っている。
 もっとも、今日だってもしかすると計画停電が実施されるかもしれないし、首都圏の電車だっていつものように動いているわけではない。だから日常を簡単に取り戻すことができないとしても当たり前のことかもしれない。

 しかし被災地でいろいろと苦労している人たちのことを思うと、曲がりなりにもいままでとあまり変わらない生活が送れるぼくは、きちんと日常を取り戻して、しっかりと生きるべきだろう。
 本来なら、明後日のプレゼン用の資料を作成して、クライアントにメールして、内容の吟味なんかをするつもりだったのに、まったくなにも手につかない。頭が混乱したままなのだ。
 とりあえず、すぐに日常に戻れないのなら、そのための準備期間として今日一日を使うことにしよう。
 そうやって前を向いていくべきだと思う。
 少しずつでいいから、日常を取り戻していこう。
 そして、明日はいつものような一日にしたい。

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2011.03.12

その翌日

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伝えあうということ

 土曜日。
 しかし、いつもの土曜日とは違う。
 テレビで流れてくるのは今回の大震災のニュースだけ。NHK も民放もみな一様にニュースを流している。しかも、民放の番組でもいっさい CF が流れない。
 いつもと同じようで、しかしどこか違う。
 時折、余震のせいで揺れることがある。
 ニュースで見るのはとても信じられないような映像ばかりだ。
 福島の原発の建屋が吹っ飛んだり、街ひとつが壊滅状態に陥ったり、住民の半数以上の確認が取れていないところがあったり、そもそも連絡がとれない町があったりと、悲惨なニュースが多い。

 今回、Twitter がとても役立ったわけだけど、それでもいくつかのデマツイートが流れたりと、負の側面も見せていた。
 要するに使う人たちの心根がそこに表れるわけで、それはそのツールだったり、手段の欠点ではない。

 しかし、時代がとても大きく変わっていることを今回の地震は教えてくれた。
 マスコミだけが頼りだった時代はすでに終わり、ひとりひとりが情報を発信することができるようになっている。これはインターネットというシステムが切り拓いたことなんだけど、その威力を今回は実感させてくれた。
 Twitter しかり、Ustream しかり、ニコ生しかり、blog しかり。
 自主的に Twitter の利用をする際のルールを提案し合ったり、ぼくたちにできることはなんなのかといった会話が交わされたりと、Twitter だからこそできる情報の伝達ということもされていた。これは画期的なことだと思う。

 大切な情報はリツイートとして、デマが紛れ込めばそれはデマですよと誰かが知らせる。こういう情報のやりとりはいままでになかったことだ。
 情報を伝える仕組みがここまで変化したのだから、当然価値観もなにもかもが大きくパラダイムシフトしている。
 そのことを認識してこれからのことを考えていかなければいけないだろう。
 情報ってなんなのか。その情報を伝えるということの必然性。そして、その情報を取捨選択することがどれだけ大切なことなのか。ひとりでできなければ、できる人たちが自主的にやれることをやって、作り上げていく情報。
 まだ、復興には多くの時間と、多くの労力と、そして多くの費用が必要になるだろう。けれど、ぼくはとても楽観的に考えている。
 揺れる中でお互いに伝え合うことができたぼくたちだから、きっとこの苦難を一緒に乗り越えていくことができるだろうと。

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2011.03.11

14 時 46 分

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 14 時 46 分。
 ぼくは電話をしようと思っていたところだった。
 iTunes の新しいバージョンをダウンロードして、再起動が終わったら電話するつもりだった。その再起動が終わったところでちょうど揺れはじめた。
 地震だとすぐにわかったが、しかしその揺れが意外に長く続く。  おかしいと思った瞬間、iMac の電源が落ちた。そのときにはわからなかったけど、停電してしまっていた。
 MacBook の電源がついたままだったので、そのときにはわからなかったのだ。よく考えたら、MacBook も、同じように机の上にあった iPad もバッテリーで駆動していたので、停電しても関係なく動いていたのだ。

 あまりにも長い振動で、さすがにこれはやばいと思い、まず起ち上がると iMac が倒れないようにしばらく抑えていた。
 いったん揺れが収まったところで、家の中を確認した。
 特になにかがひっくり返ったり、落ちたりといったことは幸いなかった。
 もっとも一番下の子の部屋ではフィギュアが一体転がっていたけど。

 まず、水道とガスを確認。どちらもちゃんと繋がっている。
 次にブレーカーを確認にいった。が、こちらは ON になったまま。それで停電していることがわかった。

 MacBook でニュースを、と思ったけど、停電していて家の Air Mac が使えないので、ネットに接続することができない。
 ともかく iPad の Twitter で状況を確認する。
 タイムラインの動きがいつもよりも激しい。それで、とんでもない地震だったことを知る。
 とはいっても、最初は都心でもかなり揺れて、棚がひっくり返ったりしたことぐらいしかわからなかった。が、時間とともに今回の地震のその全貌がわかってきた。
 いままでに経験したことがないような大災害だった。

 停電していてテレビが見られない。頼りになるのは Twitter だけという状況。しかも使えるマシンは iPad だけ。それでも情報はきちんと入ってくる。
 不思議なものでこうしてなんらかの情報が入手できると意外に人は落ち着いていられるものだということを知る。
 そういうするうちに奥さんが帰宅。
 スーパーで買い物をしていたけど同じように停電になり、レジが動かないので買い物ができなかったようだ。

 そのあと、街の様子を見たかったので外出した。
 信号がすべて止まっている。しかし、どこかで事故が起こるということはなかった。みんな冷静に行動しているようだ。
 ついでだからそのまま海まで様子を見にいってみた。
 すでに第一波は来たあとだったようだ。砂浜の濡れている部分がどこまで波が来たかを教えてくれる。
 そんなに強烈な津波ではなかったようだ。
 しかし、海の様子はいつもとは違った。
 異様に潮が引いている。
 まるで海が後ずさりしていくように、見ている間にみるみる引いていく。
 それも普段ならぜったいに顔を出すことがないあたりまで引いている。

 葉山港からは船が沖へ急ぐ。港にあると被害を受けるから沖へ避難しているんだろう。
 居合わせた人と話をしていたら、警察官に危険なので立ち退いてほしいと丁寧にいわれる。もちろん、長居する気はない。何カットか写真を撮るとさっさと帰途につく。
 しかし、はじめてみる光景はちょっとショッキングだった。いったん引いた海水が襲いかかってくるのだろう。

 いつの間にかあたりは暗くなりかかっていた。
 よく考えたら停電に対する備えがまるでできていない。というか、こんな時間まで停電が続くかもしれないということを予測することができなかった。慌てて奥さんが買い物にいったが、コンビニではパンとカップ麺と飲み物だけが、まるで配給のような塩梅で買えるだけで、店内に入ることすらできなかったそうだ。
 気がつくともう夜がそこまでやってきていた。
 さすがに暗闇の中で過ごすことはできない。今度ははぼくが買い物にいったが、すでに日は暮れてしまった。停電しているから当たり前だが、電気が通じていないので、どの店も閉まったまま。
 JR の逗子駅だけは発電機があるからなのか明かりがついていたが、駅に横にあるコンビニも長蛇の列。ただし、食べ物しかなく、懐中電灯はおろかろうそくすらない状態。仕方なく、真っ暗になったバス通りをとぼとぼと歩いて帰ることに。
 見上げると星が煌めいている。街の明かりがないからか、いつもよりも星の数が多いように感じた。

 ライフライン。その言葉の意味をぼくははじめて知ることになる。
 明かりのない生活、電気のない生活がどんなものなのかはじめて体験することになった。
 ガスは繋がっていても、電気がないと風呂を沸かすことができない。暗闇の中で調理なんてできるはずもなく、かろうじてできることといえばお湯を沸かすことぐらい。
 とはいっても、真っ暗ではない。
 MacBook を間接照明代わりにして、iPad の Twitter で情報を入手する。
 Ustream で NHK のニュースが見られることを知って、さっそく iPad で 見てみる。
 広島の中学生が iPhone 4 を使って中継してくれていることを知り、ちょっと驚く。
 NHK のテレビ画面をそのまま移した映像が、ぼくが今日のできごとを見ることのできるすべてだった。とてもショッキングな映像が続く。
 しかし、Ustream で中継してくれている彼をはじめ、実に多くの人たちが積極的に自分でできることをやろうとしている気持ちがぼくにも伝わって来て、なぜだか前向きでいられる。とても不思議な感じだけど、日本中の人たちがしっかりと前を向いている、そんな手応えをといったら口幅ったいけど、ポジティブな気持ちが伝わってくる。

 いつまで待っても電気が回復しないので、早めに寝てしまうことにする。
 明日はどんな日が待っているんだろう?

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2011.03.09

長閑

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2011.03.08

鎌倉から逗子へ

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2011.03.07

はじめての景色

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 雪交じりの雨が降る寒い日。というよりも凍えそうな日といった方がいいかもしれない。
 海水の温度は 16 度ぐらいだそうだ。気温はほぼ 4 〜 5 度。ということで、この温度差のせいで海面からは湯気が上がっている。
 それはいいけど、こんな景色ははじめて。
 湯気というよりは、靄のような感じだ。その中をウインドサーファーたちが行き来している。
 こういう景色を見ると、自然の不思議さを思わざるを得ない。
 それでも、ちゃんと理科の理屈通りというのがなんともはや。つまらないことかもしれないけど勉強に無駄はないということなんだろう。

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2011.03.06

風の吹く日

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なんとなく、しっくりこない理由がわかったような気がする

 以前、ぼくが blog に書いた「日々を記録するということ - ライフログってなんだろう?」というエントリーがある。そう、ライフログを残していく意味がわからないという内容だ。あのときに感じていた、じゃないな、あのときまで感じていた疑問は、実はまだそのままぼくの中に残っていて、まるでのどに刺さったままのさなかの骨のような感じになっていた。
 が、そのひとつの回答を今日得ることができた。

 いつも読んでいるblog 「lifehacking」の「iPad 2 と Apple の勝利の方程式、忘れっぽさについて、Posterous 2.0 (ライフハックリスト、2011/3/4)」 というエントリーの、「「忘れっぽさ」と闘うたった1つのマインドハック | シゴタノ!」というタイトルで書かれている一節だ。
「振り返ったときに、過去の自分が自分の方を向いているでしょうか? それとも気づかぬうちに、過去の自分が見えなくなるほど遠くまでやってきたあげく、自分自身がどこにいるかも、自分が誰であるかもわからなくなっているなんてことはないでしょうか?」という部分。
 これがたぶんライフログを録りつづける、そして残す大きな理由のひとつなんだろう。

 やれやれ、これで謎が解けた。
 どうして、ぼく自身がライフログという方法を素直にそのまま受け入れることが、やはりできずにこうしてウダウダと考えてしまうのか納得できた。
 別に、ライフログを録るということに反対する気はさらさらない。
 それが大切だと思う人は、きちんと残して、過去を振り返り、いつでも自分のスタート地点がわかるようにするべきだろう。

 でも、ぼく自身はそれをする気はない。
 こうしてライフログの持つ意味が、ちゃんとしたそれも模範といってもいいような答えを知ったから、はっきりといえる。
 ぼく自身はスタート地点がどこだったのかを再確認する気がないのだ。というよりも、まったく気にしていないといった方がいいだろう。ぼくの視線は常にゴールにある。
 いや、正確にいった方がよければ、常にゴールにあろうとしている。
 そう、ぼくは過去には興味はない。というか、過去をあれこれ考えることはやめようと思っている。いつも新しい時を、新しい日を、新しい自分を求めていきたい。もちろん、それがぼく自身が願っているゴールに繋がっていると信じているからだ。
 過去はいつまでも過去でしかない。
 過去を振り返って自分を修正するという方法ではなく、目指しているゴールにたいして進んでいる方向を確認しながら、前に進んでいきたいと思っているからなのだ。

 だから、なにかを所有し続けるということについても、疑問が生じるのだろう。
 過去に読んだ本、過去に聞いた曲、過去に観た映画。過去に繋がるすべてのもの。断捨離という考え方は、こういうものを断つという意味が込められているんだと思う。押し入れにしまい込んだ、過去を想起させ、そして過去の記憶へ絡め取ろうとするすべてのものを断つ必要が、きっとぼくにはある。
 過去を大切にしすぎると、過去に囚われてしまうからだ。
 ぼくが恐れているのはたぶんそれだ。まるでアンカーのように過去はぼくをなにかに縛り付けてしまい、時にはゴールを見失わせたり、あるいは見誤らせたりする。

 そう、ぼくは前を向いていたい。
 たとえ、スタート地点がわからなくなろうとも、スタートしたときの自分とはまったく違った自分になっていたとしても。ぼくはゴールを目指していきたいから。
 うん、とりあえず納得。

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なんとか 60 分走ってみる

 とりあえずしばらくサボり気味だったジョギングを、曲がりなりにも週末はちゃんと走るようになったのは年が明けてから。
 以前なら、60 分走ろうが、90 分走ろうがそんなに苦にならなかったのに、なぜか再開してみると 30 分でバテてしまうようになっていた。
 ということで、逗子マリーナまで走ってもせいぜい 45 分ちょっと。海岸をのんびりゆっくり時間をかけて走ろうと思っても、30 分も過ぎるとさらに走ろうという気になれずにいた。走るためのスタミナみたいなものが、サボっている間にたぶん意識も含めてどこかへ消えてしまったようだ。

 さすがにこれではということで、今日は海岸沿いの国道を走ることに。
 浜辺だといつでもやめることができるから 30 分で満足してしまっていたんだが、国道だと大崎のトンネルまで行ってしまうと、戻らなければいけない。これならきっと 60 分は走れるだろうという目論見。
 まさかとぼとぼと歩いて帰るわけにもいかないからね。

 ということで、いつものように海岸まで出て、それから逗子開成の南側を通り、黒門の駐車場から国道へ出るとまずは鎌倉方面へ。トンネルまで走ると、いったん戻る。
 まだ 40 分ちょっとしか走っていなかったので、再び鎌倉方面へ。さすがにトンネルまで行ってしまうと 60 分どころかもっと時間がかかってしまうので、市営の駐車場のところで U ターン。黒門駐車場の信号のところで住宅街に入って、60 分走る。
 久しぶりだったので、50 分過ぎたあたりでかなり疲れを感じたけどなんとか走りきれた。60 分 2 秒で、9.09km。ペースは、6 分 36 秒 / km。ペースはともかく、60 分という時間を走りきることが目的だったから、そういう意味ではちょっとだけ満足。
 これから意識して距離を延ばしていくつもり。つぎは 10km 走だね。そうだ、また鎌倉まで走ることにしよう。

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Lino - たかが付箋だと侮るなかれ

Lino

 Lino はクラウドを活用したオンライン付箋サービスだ。
 それはサービス開始、じゃないな、ベータ版の使用開始のときから知ってはいた。しかし、利用シーンというやつが、ぼくにはよく見えていなかった。いつどうやって使えば便利なのかがわからなかったのだ。
 正直、付箋をモニタに貼るだけならスティッキーズを使えばいいじゃないかぐらいにしか考えていなかった。
 ところが、iPhone / iPad 版のアプリが出たとなると話は変わってくる。
 オンラインで使えるということの意味が俄然大きくなってくるわけだ。もちろん、ぼくにとってはということなんだけどね。

 ぼくはふだん電車の中で本を読んでいて重要だと思えたり、この言葉はあとで読み返したいと思えるようなページをメモするときには iPhone の Catch Notes を使う。ちょっとしたメモには最適だ。
 ミーティングのレポートや備忘録といったもうちょっとボリュームのあるテキストを打ちたいときには iPad の Simplenote を使い、ちゃんとしたドキュメントを書くときには、iMac や MacBook の Jedit を使っている。
 どれも言葉や文章を書いたり、残したりするためのもの。Jedit 以外はクラウドサービスだし、Jedit のファイルは基本的に Dropbox にセーブするので、サービスそのものという意味ではないけれど、クラウドを利用していることになる。

 でも付箋を使うことは確かにある。
 そのために Evernote というのも、ちょっと違う気がする。ぼくの場合、Evernote は気になったり、これはあとで使えると思えるような Web ページなんかを記録しておきたいときに主に使っているからだ。
 付箋はいらなくなったらはがして捨てる、ということに使う意味があるからね。
 いまなら、デスクサイドに置いてある RHODIA がそれに近いかな。ちょっとした走り書きに使ったり、つまらないことでもメモとして書いて、必要がなくなれば捨ててしまえるもの。

 こうした使い方に最適なアプリは、クラウドサービスということを考えるといぼくはいままでに使ったことがなかった。
 しかし iPhone や iPad で使えるということになると、ちょっとしたメモや走り書きが、いつでもどこでもできて、しかもそれがそのままクラウドで iMac や MacBook の画面にも反映されるということだからね。これはたかが便利な付箋が使えるようになったということではなくなる可能性がある。
 ということで、さっそく iPhone 用のアプリをダウンロード、ついでにアカウントを作って、さっそくログインして試してみた。なるほど、これはなかないい感じだ。というか、いままで単なる付箋としか考えていなかったぼくがいけなかったのかもしれない。クラウドということを考え合わせると、これまでの iMac や iPhone なんかの利用環境をさらに快適にすることができそうだ。
 いやそれどころか、これを機会に iMac や MacBook さらには、iPad や iPhone で、それぞれどんなときに使うのかということを大幅に整理し直す必要があるとすら思っている。
 ということで、しばらく試行錯誤しながらいろいろと試してみよう。どんな形でぼくなりの環境作っていけるのか、とても楽しみだ。

■ Lino  http://linoit.com/

lino -オンライン付箋サービス- - Infoteria Corporation

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2011.03.05

SUP のある風景

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2011.03.04

だって、ただのカンニングでしょ?

 自分自身のこともあって、いろいろとドタバタしていてこのところなにかをゆっくり考えるということができていなかったけど、改めてテレビのニュースを見て、とても違和感を覚えてしまった。
 たかがカンニングなのに、なぜにこんなに熱く報道することがあるんだろうかと。
 もっとほかに報道すべきことはあるんじゃないだろうか?
 大学入試のカンニングなら、その大学が粛々と該当者を特定してしかるべき措置をとれば済むだけだと思うのは、ぼくだけだろうか?
 朝から晩までニュースで取り上げなければいけない一大事なんだろうか?
 どうもこのところのニュースや報道番組を見ているとどうしても首を傾げてしまうことが多々あるんだが、それはぼくの感覚がズレているからなんだろうか。
 それともただ単に日本がとても平和なのか、どこかに取り返しのつかないひずみがあって、それがほころびを見せているのか。ともかく抱いている違和感が時が経つにつれて少しずつ大きくなっていることだけは確かなんだけどね。

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2011.03.03

江ノ電江ノ島駅

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2011.03.02

静かの海

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2011.03.01

波頭

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