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2011.01.11

疚しさについて たぶん、その 1

 このところ「疚しさ」ということについて考えている。
 他の多くの人が、いわゆる仕事をしている時間に、ぼくは暢気に海岸を散歩している。もちろん、ぼくの心の中が穏やかかどうかはそのときによる。酷い悩み事を抱えていたり、あるいは仕事のことで頭がいっぱいだったりといろいろだ。特にこのところいろいろとあるから、なんかの悩みを抱えていることの方が多い。
 だからもしかしたらなにも考えずに機械的に作業をしている人と比べれば、ぼくの方がなにかをしているという考え方もできるかもしれない。でも、そういうひねくれた考え方をする前に単純に「疚しさ」を覚えてしまう。
 それが、とてもいいことだとは思えない。

 そう、「疚しさ」を覚えることが、いいことだとは思っていない。
 ぼくがどんな時間の使い方をしようが、あるいはこの先、一生仕事もせずにぶらぶらと生きることだってできる。どんな人生を歩むのかその選択はぼくにしかできないはずなのだ。だから、海岸を散歩したいとぼくが思ってそれを実行しているのであれば、なんら「疚しさ」など感じる必要はない。
 それは理屈ではわかっているんだが、どうしても心のどこかに「疚しさ」が隠れていて、ふっとした瞬間にその姿を覗かせる。
 それがぼくのなにかを、鈍らせている気がしてならない。
 そうなのだ、そのジレンマにぼくはちょっと迷っている。
 ぼくが望むこと。それをきちんと実行していくことが一番なのだ。ぼく自身が抱いているゴールを達成するためには、他の人がどうだとか、世間の価値観だとか、常識に拘る必要はいっさいないのだ。
 もちろん、人になにをいわれようと気にすることはない。これはぼくの人生だ。ぼくの世界だ。
 ぼくが死んでしまえば、この世界は消えてしまう。
 ぼくと関わりのある他の人たちの世界とはかかわりなく、ぼくの物語はぼくが死んだところで終わる。たとえ、それが妻であっても、家族であっても、友人であったとしても。
 それは唯一、ぼくが主人公でいられる人生であり、世界であり、物語だ。だから、それをきちんと自分のものにしておくためにも、自分の考えでしかりと生きていかなければいけない。そのためにはこの「疚しさ」は単なる足枷でしかない。
 それがわかっていて、しかしそれでいても感じてしまう。

 もっともっとこの「疚しさ」の正体を突きつめなければいけないのだろうか?
 ともかく、いまぼくに必要なことは自分の足で、この自分の物語を、世界を、人生を歩いていくことなのだ。
 こんなにシンプルで簡単なことなのに、どうしてそれが難しいんだろうねぇ。

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