
生まれてはじめて逗子に足を踏み入れたのは、ってちょっと大袈裟な感じだけど、2007 年の 4 月 15 日のこと。
別段、なにかの目的があったわけではなく、ただちょっとふらっと出かけたくなり、せっかく出かけるなら海でも見ようかみたいな気持ちで、横浜から京急に乗って新逗子へやってきた。
前日、奥さんと言い争いをしてむしゃくしゃしていたというのは内緒の話だ。
逗子に着いたのはいいけど右も左もわからず。そもそも目的があったわけではないから、あらかじめ地図を調べて、みたいなことはまったくやっていない。土地勘なんてあろうはずもなく、iPhone も持っていなかったから、というかまだ iPod touch すら発売される前だから当たり前なんだけど、とりあえず行き当たりばったりでもなんでも、てきとうに歩いていたらいつか海に出るだろうと軽く考えていた。
電柱に「逗子マリーナ」の看板を見つけたのはバス通りをテクテクと歩いていたとき。この看板を頼りにと浅はかにも考えて歩きはじめたのはいいけど、実はこれが遠いんだ。
なんとか小坪港に辿り着き、さてとこのまま海沿いにと思ったけど歩いて行けないので、仕方なくいったん駅の方まで戻り、息も絶え絶えに逗子海岸に辿り着いたことを覚えている。
そのとき海を見ながら考えたことが、海が近くにある生活ってのも、なんだかいいんじゃないかということ。
それ以来、引っ越しをするとしたら逗子、という決意といったら大袈裟だけど、それが口癖のようになっていた。もちろん、そんな話を妻をはじめ子どもたちはまったく信じることなく、口を開けばまたバカなことをいってという冷たい視線を浴びせられていた。
そう決意したはずなのにマンションの更新なんかもしているから、確かに言動不一致もいいところで、家族の見立ては当然といえばそのとおりだ。
が、さすがに今年の更新時に、逗子に引っ越すなら今年しかないという思いはあった。
こういう場合、まず退路を断つ必要がある。だって、近所で別の家を探すならどこにどんな店があってどんな生活ができるかわかっているから迷いもなにもないけど、まったく関係ない土地へ生活の場を移すということはさすがに覚悟がいる。逗子のことをまったくといっていいほど知らないわけだからね。
ということで、まずマンションの更新を断り、どうしたものかいろいろと悩んだ末に、って、断っておきながら悩むところがまた優柔不断だけど、それでもあと一押し覚悟がいったわけだ。それだけ見ず知らずの土地へ引っ越すというのは大きな決断が必要で、ときには人生が大きく変わってしまいかねないことだからね。
とはいえこのまま手をこまねいているわけにもいかず、とりあえずネットを使って家を探しはじめた。
縁というものはやはりあるんだなとということを今回の引っ越しでも感じたんだが、すぐになかなかいい条件の物件が見つかった。
ほんとうはいろいろと比べて、それこそ両手では足りないほどの物件を内見して、ああでもないこうでもないと勘案して決めるんだろうけど、ここがまぁぼくの生き方にもダブるんだが行き当たりばったりというか、勢いだけというか、いい加減といおうか、ともかくここと決め打ちして内見したのが、実は 4 月に入ってから。すぐ近くを国道が走り、家々の合間から JR の電車が見える場所なんだと気がついたのは、実は住みはじめてからというアバウトさ。
だから物件はひとつしか見ていない。その日に大家さんに会い、その場で決めてしまった。
翌日には正式に申込をして、契約をしたのが 4 月 25 日。その日には引っ越し屋が荷物の梱包に来て、翌日引っ越し。ドタバタというか、どさくさ紛れというかなんていえばいいんだろう、あまりこういう人はいないと断言してしまうが、ともかくはじめて逗子海岸を見てから三年目にようやく居を構えることができたわけだ。
ということで、いまぼくは毎朝、波打ち際をジョギングし、夕方には海岸を散歩する生活を送っている。これからの生活がどうなるのかわからないけど、ひとつだけいえることは、海まで歩いて行ける生活ってのは、なかなかいいものだということだ。