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2009.12.27

日本辺境論

日本辺境論 (新潮新書)  今年の 30 冊目。内田 樹「日本辺境論」読了。
 昔からといっても高校の頃からなんだが、自分はいったい何者なのかということを悩んできた。「きた」となっているのは、もうしかしたらまだ悩んでるかもしれない部分があるからだ。だから大学で心理学を学び、といってもまったく役に立たなかったような気はするけど。だからなんだろうこういう本をつい手に取ってしまうのは。
 そんなぼくにとってはなるほどと思わず膝を打って納得してしまうような一冊だった。地政学的辺境が日本人の骨格を作っているということをテーマに、日本人の特性を繙き、「学び」について説明し、さらに「機」ということで時間についても考察を加え、というか、この部分は果たして辺境性とどういう密接な繋がりがあるのか、まだ理解できていないけど、最後に日本語の特性についても書いている。

 帯に養老孟司さんの「これ以降、私たちの日本人論は、本書抜きでは語られないだろう」という推薦文がこの本をずばり言い表しているような気がする。
 確かに中華思想を片目にしながら、でも日出ずる国だもんねと嘯く日本人を分解してみれば、辺境性という言葉で説明がついてしまう。
 昨日だったか tumblr に「今後10年で最重要なのは、一等賞になることではない。一番面白いゲームのルールを描くことなのだ。」というコメントが流れてきて、思わず reblog しちゃったんだが、この「ルールを作る」ということが日本人はとても不得意だ。なるほどそれも辺境性のなせる業である。中華思想もそうだが、日本ほどグローバルスタンダードなり、他の国なり、ともかく見本を見つけて、いかにしてそこに近づくかということを念頭において、というか、そういう考え方しかできないような気がする。
 ルールを自ら作る。そういう考え方も大切なんだと改めて教えられた気がする。
 もっとも辺境性だって捨てたものじゃないんだけどね。

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