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2009.11.01

文脈的変数の関数

 ひょうなことからひょんなサイトに繋がることがある。
 このサイトもそれで辿り着いた。http://www.obihiro.ac.jp/~psychology/abofan.html  帯広畜産大学心理学研究室の渡邊先生のページだ。
 ある馬鹿、といってもこの手紙をやり取りしている「ABOFAN」がどんな馬鹿なのかは、菊池先生のこのトピックのコメント欄とそれに関するところを延々と、っていや単にさらっと流すだけでも充分だろうけど、わかるでしょう。こういうのを不明な情熱というんだが、それにしてもこの人、いったいなにがしたいのかさっぱりよくわからん。
 まぁ、いい。で、なぜこのページに興味が湧いたのかというと、まだこの内容、メールのやり取りのすべてを読んではいないんだが、ってそんな暇、普通の人はありません、それともかくとても興味深い渡邊先生の説明がいくつもあったからだ。
 まずは最初のメールの「2.性格と血液型に関係がないという根拠」の中の「私は「性格」というもの自体,特定の時間と場所,特定の状況,特定の対人関係の中で一時的に生じる,関係的な概念であると考えています.誰かを「明るい性格」だと言うときには,「いつ,どこで,だれが,だれを」明るいと言ったのかが特定されなければ,その言説には意味がありません.同じ人が,他の場面で,他の人から見ても「明るい」かどうかはさまざまな文脈的変数の関数です.ただ,ふつう一定の安定した状況の中で暮らしているわれわれの認識はそうした文脈的な条件を捨象するように出来ており,そうした性格がその人固有で,一貫したものであるかのように錯覚します.普通の生活ではその錯覚には実害がありませんが,それをそのまま科学理論とするのは無理です.」というところ。
 なるほどそうだよなぁ、と目から鱗でした、はい。
 要するに性格はそのときどきの文脈でいろいろな見方ができる関数にすぎないということ。
 確かに定量的に、あの人は「明るい性格」の 6 段階目の性格の持ち主だなんていう考えはできないよね。
 これいわれてみればごくごく当たり前だけど、物語を作っていくという過程においてはとても大切なことなのかもしれない。ということで、個人的にも勉強になるのでメモをしておくことにする。

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