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2009.11.06

逆説の日本史 16 江戸名君編

逆説の日本史 16 江戸名君編~水戸黄門と朱子学の謎~  今年の 25 冊目。井沢元彦「逆説の日本史 16 江戸名君編~水戸黄門と朱子学の謎~」読了。
 年に一度は逆説の日本史の新刊ということになっている。それももう 16 巻。年代でいくと江戸時代の真ん中まできたといったところだ。
 今回は、水戸光圀、保科正之、上杉鷹山、池田光政という四人と江戸の町人文化について書かれている。
 このシリーズに出会わなかったらたぶんぼくはもっと一般的なものの見方でこの国の歴史を知ったつもりになり、一歩踏み込んで考えるということはなかったろう。たとえば、信長の時代の僧兵たちはどういう所業をしていたかを知らなければ、叡山の焼き討ちは酷いとしか思えなかったろうし、まさか綱吉が実は意識改革のパラダイムシフトをしていたということや、吉宗が実は名君ではなかったなどいうことは露ほども知らず、テレビドラマに出てくる人物像をなるほどといって違和感を抱くこともなくただ見ていたに違いない。
 叡山の話でいえば、この時代の寺社勢力というのは財力はもちろんのこと武力も備えたとんでもない集団であって、応仁の乱のときよりも酷い内乱を京都で起こしていたこともはじめて知った。下手をすると戦国大名よりも力を持っている集団でもあって、それが反抗してくるのなら武力で抑えるのは当然だといえる。こういうことは決して常識にはなっていない。なにしろ信長が宗教団体から武力を取り上げたからこそ、いまぼくたちが考えている宗教団体の姿になっているわけだ。
 このシリーズを通してよくわかることは、常識は長い歴史が試行錯誤して築いてきたもので、当時といまの常識が同じではないことがよくあるということでもある。学校の教科書にそんなことは書いてない。
 この巻でいえば、目から鱗だったのはなぜ江戸時代の日本は識字率がとても高かったのかということについての考察だ。
 その回答は、この本を読んでもらうとして、やはりひとり著者が通史を書くということの意義を改めて感じ、この視点で描いていくと昭和はどんな時代なんだろうということである。なんだか怖いような、でも覗きたくなるようなそんな感じといえばわかるだろうか? 自分が生きてきた時代を、日本の歴史の一部として捉えたことはいままでなかったから、大きな流れ、たとえば江戸末期からの流れといってもいいだろう、その流れの中でどう捉えられるのかということだ。
 まだ先は長いのでそれを楽しみに続きを読んでいくことにしよう。次は来年だけど、ね。

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