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2008.04.21

かりんとうを買いにいった帰り道

 銀座にかりんとうを買いにいった。
 明日、京都に出張するんだが、その際に訪問する会社へのお土産である。ありきたりのものをお土産にしてもつまらないし、前回は NOKA のチョコレートを持って行った手前、なにか工夫しないと一発屋みたいな感じになってしまう気がして、いろいろ考えた末である。
 とはいっても銀座でかりんとうだけしか扱っていないというのもなかなかである。
 食べてみるとわかるのだが、これがなかなか上品な甘さでとても美味しい。まったく辛党のぼくでも食べられるぐらいだからその控えめな甘さ加減がわかろうというもの。

 かりんとうが入った紙袋を下げて銀座線に乗って会社に帰ることにした。
 銀座から京橋に向かう途中、ドアのところに立っているぼくの顔がガラスに映っていた。頭を丸めたそのぼくの顔をぼんやりと見ていて、ふと、ああそうか、いまこのまま死んでもそんなに未練が残る感じはしないな、と思ってしまった。なんだかとても不思議な感覚である。
 満足しているわけではない。けれど、なんだかやれることはやっているから、そこまで執着はしないといえばいいんだろうか。その瞬間、生と死の垣根がとても低く感じたといえばいいんだろうか。いままでに感じたことのない感覚だけに自分でも自分に説明しきれないんだが、とてもごく当たり前にいまなら自分の死を受け入れられそうなぼくがそこにいた。

 人生にまだまだ納得もできていないのになんなんだろう、これ。
 ただ歳を取ったということなんだろうか?
 自分で自分の感覚を上手く処理できないというのはなかなか珍しいことではある。
 いやそれが恋愛感情だったら自分の気持ちを持て余すということはままあることで若い頃にたっぷり味わったからよくわかるんだが、死に対してなんだかとても自然にそのまま受け入れてもいいや、なんて気持ちになることがあるということに正直驚いてしまう。
 人って、自分の心の底に湧く感情をコントロールするとか以前に、そんな感覚があるなんて知らなかったよ、という状態になることがあるんだねぇ。
 いや、そんな状態になるんだって知らなかったよ、という状態になるなんて知らなかったよ。

 なんてことを考えながら途中で東西線に乗り替えて会社に戻った。
 もちろん会社にいるときはいつもの自分のはずなんだが、でもそれってほんとうにいつものぼくなのかどうか実は判断できずにいる。考え出すとやっかいなことだな、これは。

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